人より我慢しないと欲しいものや必要なものが手に入れられないと感じていたR子さん。
前回のR子さんのEFTタッピング事例
あ、話がつながってきました。
わかってきました。
私、ものすごく認められたかったんです。
EFTタッピングで、R子さんの感情や思考などをご自身でありのまま認めるうちに、小さな時から学生の頃、そして現在に至るまで、ご自身が取ってきた行動が「周囲に自分を認めて欲しい」から来たものだとお気づきになりました。
認められたいという気持ちに、ご自身で気づかれるって、スバラシイです!
ここで、下記のEFTをしました。
EFTタッピング・セットアップフレーズ
私は小さな頃から、ずっと親や先生、誰かに自分を認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて頑張ってきたけれど、私はずっと誰かに認めて欲しいと強く思っていた自分をありのまま認め受け入れ愛します。
私、小学生の頃、発表大賞だったんですよ。
小さな頃、何か良いことをするとシールをもらえて、それが好きだったんですよね。
わかります。
子供心にあのシールは魅力的でしたよね。
人より我慢しないと欲しいものが手に入れられない理由
誰かに認めてもらうためには、注目も浴びなければならないし、自己PRだって必要です。
でも、成長し、大きくなるにつれて「一人でできて当たり前」になると、周囲からの「承認」も、シールのような「ご褒美」も得にくくなります。
これまで幼いが故に当たり前に得られていた「承認」「ご褒美」が得られなくなると、不安になったり、自分の存在価値がなくなったり、ないがしろにされたりしている感覚が生じて傷つき、自分を守れなくなります。
だから常に「承認」や「ご褒美」を得られるよう、周囲から認められる自分になることで、自らを守ろうとするのです。
でも、これだと、本来のR子さんの持ち味や良さなどが活かせなくなり、結果的にご自身を大切にできなくなります。
これがR子さんの、人より我慢しないと欲しいものや必要なものは手に入らない理由であり、原因なのです。
欲しいものを得ると感覚的に周囲から承認を得なくてはいけない状態に陥る
前回の記事で触れましたが、R子さんには、ご自身で費用を賄い留学するほどの意志の強さも、欲しいものを手にするための行動力もあるのにも関わらず、感覚的に周囲から承認やご褒美を得なくてはいけない状態に陥っているのです。
また、人間関係には、承認を得られるかどうかが絡むため、相手のことを考えているはずなのに、自分が傷つかないよう周囲を振り回し、大切に思っているのに、それができなくなってしまうのです。
旦那さんが、欲しいなら買えばいいと言っているのに、お腹がスライムな自分は認めてもらえないから、頼りたいけれど頼れない。
お腹がスライムな自分を旦那さんに認めてもらうために言い訳をしてから、頼り、欲しいものを得る。
断られたら傷つくから、最初から頼らない。
これだと欲しいものを得ようにも、我慢も必要だし、卑屈にもなるし、NOも言えないのです。
ありのままの自分で欲しいものを手に入れるためにEFTタッピングを使う
このような状態を改善するために、アイホージュではEFTタッピングを使います。
自分の感情や思考などをありのまま認め「周囲に承認を求めても、うまくいかない」とお気づきになって、本来の自分を出せるようにしていくことが必要です。
ありのままの自分は認めてもらえない
中学の頃、R子さんは、厳しいことで有名な運動部の部長でもありました。
でも、自分が上に立つのは苦手。
部活を辞めたいと顧問や親に話しても「続けなさい」と言われるだけ。
結局、最後まで続けました。
長い間「継続する=正しいこと」とも思っていたんですね。
我慢することで、顧問や親から承認を得る。
ありのままの自分では顧問や親から承認を得られないけれど、頑張って続けたら、得られた。
なので、頑張らなければ、我慢しなければ、欲しいものや必要なものは得られないと、無意識に思っていたのかもしれません。
子供をありのまま認めてあげたい
私ね、子供が良いことをしたらもちろん褒めるけれど、何もしなくてもそこにいるだけでいいって、子供達の存在や子供達のことをありのまま認めてあげたいと思うんですよ。
と仰るとともに、ご自身の言葉にはっとしていらっしゃいました。
それがわかったことに納得した彼女の最後のEFTはこんな感じで終わりました。
EFTタッピング・セットアップフレーズ
- これまで「こんなにうまく行くわけがない」「苦労して当然」と思っていた自分をありのまま認め受け入れ愛します
- 「苦労して当然」と思っていたから何か良いことがあっても手放しで喜べず、これがずっと続くわけがないと自分に言い聞かせていた自分をありのまま認め受け入れ愛します
- 良いことがあって、の後不幸な状況になると、そうそう、これが現実よね、と安心する自分をありのまま認め受け入れ愛します
- 例え、うまくいかないと思う事があったとしても、私はありのままの自分ですばらしい存在だ
- 私の人生は、自分のありたいように過ごせるのが当然という新しい思考を喜んで人生に受け入れることを許可します
EFTタッピングセッション後のやり取り
R子さんから、この八日間で頂戴した、素敵なメールを紹介します。
セッション中や終わった直後に、感情の変化がわかる時もありますが、日にちが経過して初めてわかることもあります。
R子さん、公開の許可を下さり、ありがとうございました。
EFTタッピングセッションから二日後
潜在意識への話しかけ。どんな変化が自分の中に出てくるのか楽しみにしています。
(中略)
これは本来のEFTの目的からはかなりずれてるかもしれませんが、やってもらって一番自分に効いたのは、伊藤さんに「私はありのままで素晴らしい存在である」と言われたことなのではないかなと感じているんですよ。
聞きながら(そして自分でも言いながら)、嬉しかったです。
こうやって思うって事は、やっぱり認められたい願望が強いのでしょうね。
今日は、またしてもいつもの通り子供達を怒鳴る場面がいくつかありました。
(注:EFTはしなかったのですが、小さな子供が3人いるので時々収集がつかず、しっちゃかめっちゃか状態になる、と聞いていたのです。)
でも、今までとは違っていたことがありました。
それは、叱っている自分を「これでいいんだ」と認めてあげたからか、それですっきりしてしまい、その後ネチネチ言い続ける必要がありませんでした。
怒ったあとでもすぐ気持ちを切り替えて学校に送り出すことができたのです!
今までは怒ったあと、いつまでも引きずりネチネチと子供に言い続けて、ましてや気持ちの切り替えなんて無理な話でした。
怒ったあとに学校に見送る時も、「ハグしなきゃ、するべきなんだ」と考えてやっていたので行動は形だけで心はついていってませんでした。
今日は怒った顔の一分後位には笑顔で娘を送り出すことができた自分にびっくり。
怒りを引きずらずに済んだのは、認めたから手放せたということなんでしょうか?
それから、今日ふと思ったのですが、昨日までは「自分が受け入れてもらえた経験が少ない」のは家庭環境かなと思ってたんだけど、そうじゃなくて、たぶんそれは学生時代の恋愛の相手との出来事が一番大きな理由だったんじゃないかなあと思いました。
小さなきっかけやクセ、つまり芽のようなものは子供の頃の環境で芽生えたものかもしれないけれど、それを必要以上に大きく育ててしまったのはあの時他人と比べて自分を卑下するというクセをつけ、長期間味わいつづけたことではないかなあ、と。
自分を卑下するという大きな経験は、後にも先にもあれしか記憶にないのです。思いつく限りでは。
そして、その時に「ものごとは自分の思い通りにいかない。簡単にはいかない。」ということも存分に味わったのだなあと思いました。
でも、私は生まれ変わったのですよ。なんて(笑)。
まあ性格はそう簡単に変わるものではないですが、「自分はありのままで大丈夫」と意識する癖をつけて行動していきたいなと思います。
私って受け入れてもらいたかったんですね・・・。
自分を受け入れると、他人を受け入れることもラクにできるような気がします。
そして、私は考えることも好きだけれども、もう少し動物的感覚(?)を取り戻さなくちゃ。
そのほうが、生きるのもラク。
サルにならないよう気をつけますが・・・。
EFTタッピングセッションから三日後
余談なのですが、今日再び母から電話がありました。
私は日本に預金を残してきているので、それで自分のことは払うようにしてるのです。
今回伊藤さんからセッションを受けたことに関して、自分(母)が払いたいのでそうした、受け取って欲しいと言われました。
母は不器用なりにも自分が私のそばにいて助けになってあげられないことに罪悪感を感じているようです。
今日も電話で「どうして▲▲してあげなかったんだろう・・・」としきりに言っていました。
ある時期に私がかなり参ってたのは知っているので、もしかしたらセッションのこともその内容だと思ったのかもしれません。
なんだか、そういう母の気持ちを汲み取ってあげたいなあと素直に思いました。
鈍感さも含めて受け止めてあげたいな、と思いました。
でもこうやって考えられるのも距離があるからかもしれませんね。(中略)
お金うんぬんじゃなくて、私の母に対する新しい発見&今の気持ちについてちょっと書きたかったのです・・・。
EFTセッションから八日後
(中略)ガチガチの■■体験という言葉でリンクしたのが私の「完璧主義」。
人間関係のことも、体型に関することも、何でもそうなんだけど自分のこのクセが全てを難しくしてしまっていたんだなあ、と思いました。
例えば・・・失敗するのが怖い=完璧・円満な人間関係を求める(→これは、今気づきましたが、全部しゃべって相手に全部納得してもらい、受け入れてもらおうとしてたのかな?それが強迫観念だったのかな?)
でもそんな人間関係なんてないので、結局それから遠ざかろうとする、ということをしていた?私。そして長くなるので詳しいことは割愛しますが、■■の勉強(注:彼女がやりたいと思っていてずっと継続していることです)に関してもそうなのです。
完璧にやろうとしてた自分から、できる範囲でできればいいや、に変わってだいぶラクになりました。
一度やめることにしたけれど、やっぱりやりたい!という思いが湧き上がってきたのです。
EFTを受けた後、生活の中で意識していることは、これまでのクセでつい段取り・計画を優先してしまいそうになるところを「本当は今何したくて、何が大事なことか」を自分に問うようにしていることです。
もう寝る時間だから・宿題を片付けなきゃだめだから・やることが溜まっているから等々、できない言い訳・したくない言い訳はたくさんあります。
が、ちょっと予定を変えてでもそれが今子供と私にとって大切なことならいいんじゃない?という感じのものです。
本当に小さなことですが、今日は夕食のあと息子が外で自転車遊びをしたいというのに付き合いました。
いつもは夕方~就寝までは魔のような忙しさ。
朝も早いので夜は気持にほとんど余裕がありません。茶碗も洗い終わってなかったし、洗濯物も終わってないし、お風呂にもいれてないし・・・なんて思いでもこんなに天気がいいのは久しぶりだしなあ、まあ、いっかと思い、外でちょっとの時間あそびました。
でも、前のように「仕方なく」という気持ちではなかったのです。
私も楽しかったのです。
最初は意識しないとできないことが多いだろうけど、りんりんさんも言っていたようにそれがだんだん無意識にできるようになったらなあと思います。
段取りや計画は頭で考えているので、心で本当は何を欲しているのか、に目を向けていきたいです。
そうそう、これも僅かな変化なのですが、行動にうつすのが早くなりました。
例えばメールの返事。
以前はもっと考えて、注意深く考えた文章を恐々出していたような気がします。
(中略)
今年に入った頃から、自分とそのまわりが何となく変化したように感じていて、それが何なのかうまく言えないのですが・・・。
自分が張ってたバリアにヒビを入れることができた、って感じでしょうか?(まだ壊す、まではいっていないです)
その最後のブレーキ=自分を引き止めているものが何なのかわからないけれどそれを打破したかったのですね。
このままじゃいけない、このままでいたくないと思う自分がいて、どういうふうに変わりたいかも何となくわかっていたのです。
それを伊藤さんに強化していただきました。本当にありがとうございます!
P.S.一番大きな変化は、以前に書いたように「自分を受け入れる」作業をすることで他人をも受け入れる許容範囲が広がりそうなことでしょうか?
自己否定が入っていた時はやっぱり周りにも優しくできませんでしたよ、私。
R子さんが今、手中にある宝物に気付いて、それを大切にしようと進んでいるのがわかってステキだなあ、素晴らしいなあと思いました。
R子さんが今、手中にある宝物に気付いて、それを大切にしようと進んでいるのがわかってステキだなあ、素晴らしいなあと思いました。
R子さん、ありがとうございました!