自分の世界は自分が創っているってどういうこと?


ヒト・モノ・コトに対して生じる、自分の感情や思考をありのまま認め、掘り下げながら、事実と感情を分けるうちに、気づいたことがあります。

それは、目の前のヒト・モノ・コトに接している時は、いつも、自分の内側の反応を通じて、ヒト・モノ・コトに接しているということ。


例えば、人と接しながら
「あ、あれイヤだなあ」
「これを言ったら傷つけるんじゃないか」
「これは言えないな」
「面倒くさいな」
「うるさいな」
「つまんないな」
「断りたい」
など、あれこれ感じたり
「今日、髪型おかしいって、思われているんじゃないかな」
と思ったりしながら、何を言って、何を言わないのかを考えて、話している。


当たり前なのですが、いつも、私は、感覚や感情、思考など自分の内側を挟んで、目の前のヒト・モノ・コトに接しているのです。

自分の内側の反応とは、別な言い方をすると、自らの欲求を扱い続けた歴史。

以前別の記事で触れたことがありますが、私には、同じ自分の人生なのに、他人軸と自分軸では、見え方が全く違うと感じて、「どちらが自分の人生なのか」混乱した経験があります。

EFTタッピングを積み重ねて7年が経つ頃の話なのですが、この時、自分の目に映る世界を自分の内側が創っていることを実感しました。

感情や思考をありのまま認めて、内側のケアをするって、すごく大事です。

ヒト・モノ・コトは変えられませんが、これらに対する、感情や思考をありのまま認め続けていけば、自分の動きが変わると共に、目に映る世界も確かに変わるのです。

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