EFTタッピングをするようになって十数年が経ちます。
今もなお、その面白さに魅せられています。
EFTタッピングの面白さは掘り下げにある
EFTタッピングの面白さは、何と言っても、自覚・無自覚の他人軸の動きを、自分軸の視点で言語化しながら、細やかに掘り下げるところにあると思っています。
個人的な意見ですが、
- 自分と向き合う
- 自分の声を聞く
- 自分を理解する
方法として、EFTタッピングの
- 感覚
- 言語化
- タッピング
- ありのまま認める
の組み合わせは、最強だと思っています。
私の場合に限ってですが、ノートに書き出したり、思っていることをそのまま口に出したり、ワークをしたりするだけだと、表面上の内容に留まったり、取っ散らかってしまい、EFTタッピングで得られる無自覚レベルの掘り下げができないのです。
EFTタッピングをしていなかったら絶対にわからなかったこと
普段私は、主に、現在抱いている悩みや、どうしたらいいのかわからないと感じていたりすることを題材にEFTタッピングをしています。
最中に、過去の出来事を思い出すことがよくあります。
それも、よくこんな過去を引っ張り出せたなと感心するほどの、普段は思い出しもしない、すっかり忘れてしまっている、遠い昔の出来事が浮上するのです。
思い出す過去の出来事には、現在の悩みを解決するヒントが隠れています。
これは、EFTタッピングをしていなかったら絶対にわからなかったことの一つです。
人間の神秘といえばいいのか、機能の凄さには驚くばかりです。
過去の出来事に付随するヒントを読み解くのも楽しい
ヒントは、「出来事に対応する自分の動き」に含まれています。
ただ、最初からヒントの形をしている訳ではないので、自ら読み解く必要があります。
それが楽しいのです。
自分の他人軸の癖を知っていると、読み解きやすくなります。
日々のEFTタッピングの積み重ねがものを言います。
実況中継のような言語化によってヒントを読み解く
思い出した過去の出来事に対応する、自分の動きに意識を向けると、実況中継のような言語化が自分の中で始まります。
当時は無自覚だった、他人軸による思考や言動などを、自分軸の視点で細やかに言語化しながら、過去の追体験をしていると、どこがおかしいのか、今の自分だとわかるんですよね。
「うわーうわーうわー」と思ったり、ひやっとする感覚を覚えたり、ため息ついたり、取返しのつかないことをやっちゃっているなあと後悔したり、あの頃から何も変わっていないのかあ、なんて打ちひしがれたりしています。
でも、これらの思いは、ありのまま認めていくと、前に進むために必要な情報や対策、原動力などになります。
これが、過去の自分が現在の自分を救済するということです。
何度も同じ過去を思い出す時は
時に、何度も、同じ過去の出来事を思い出すこともあります。
その場合、例えば、一年前に掘り下げた内容が、三年後にはさらに深く掘り下がるといったことが起こるのです。
十年後に「とある肝心なことに気付いて、ここまで取り組んできたものが、このためにあったのか」という発見があったり、新たな疑問が生じたりします。
ごく普段の生活が、興味深く感じますし、自分が確実に変化しているのがわかるのも面白いです。
このような楽しさも、お伝えできたらいいなと思いながら、セッションや講座の提供を行っています。