感覚の言語化はリスクマネジメント

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

このブログをお読み下さるあなたは、直感を信じますか?

直感というと、「ピンと来た!」「ひらめいた!」というイメージがあるでしょうか。

私にとっての直感は、「ピンと来た!」「ひらめいた!」ではなく、自分を守ったり、導いたりするために作動しているように感じます。

いわゆる、リスクマネジメントですね。

個人的には、「ピンと来た!」がうまくいかないのです。

試しに「ピンと来た」と感じる時に伴う、体感を言語化しながら検証してみたら、「他人軸の対応でうまく行くはず!」になっていたのです。

これだとうまくいかないので、「ピンと来た!」がうまくいかないのも、当然だと思いました。

余談ですが、霊感はゼロ。

怖いからいりません。

見えなくて結構と思う、ビビリ屋です。

目次

感覚の言語化がリスクマネジメントになった3つの出来事

雨の日にここで事故が起きる

2006年に、車を運転し、赤信号で停止している所に、大型トラックから追突される交通事故に遭ったことがあります。

先頭で停止していたので、信号が青に変わるまで、少し時間がありました。

なので、左窓から見える草に、ぼんやりと意識を向けていたのでが、ふいに「雨の日に、ここで事故が起こる」という言葉がよぎりました。

説明し難いのですが、さらりと言葉が頭の中というか、目の前を流れて行った感じです。

え、何?

と思いながら、視線を車内のミラーへと向けた時に、後ろのトラックが加速しているように見え、これは現実だと気づきました。

そこから可能な限り前へと移動し、身構えている所へ追突。

現場検証の時、トラックのブレーキ痕が自分の停止していた場所に残っていたのを見て、もし気づかずにそのままだったら即死か、頸椎・胸椎・腰椎損傷レベルの怪我を負ったのかもしれないと思いました。

ずいぶん後遺症に苦しみましたが、それでも事前に気づいて移動したため、見た目には傷を負わずに済みました。

事件から逃れる

他には、新卒で入った会社を辞める時のことです。

社会保険の関係で、社内では、月末の一日前の退社を推奨していたのですが、無知だった私は、退職日を自分で決めたいと思い、月半ばにしたのです。

慣例を破ろうとか、奇をてらおうとか、そんなつもりはありませんでした。

ピンと来た訳でも、閃いた訳でもないのです。

なんとなく「この日を私の独立記念日にしよう」と決めただけ。

でも、これだと、社会保険を2回払う必要があるのですよね。

それを知って「失敗したー」と思いました。

退職から一週間後。

アトランタ近郊に住む、短大時代の友人を訪ねて旅立ち、帰国したのは9月5日だったか、6日だったか。

時は2001年。

もし会社から推奨されていた月末の退社だったら、間違いなく、アメリカ滞在中に世界同時多発テロに遭遇です。

帰国する日、アトランタからヒューストンを経由して成田に向かう飛行機に乗る予定でした。

空港で一本早いヒューストン行を勧められ、搭乗したのですが、数日ずれていたら多発テロの時間帯に上空にいる状態だったのです。

この旅行を決めた時、ニューヨークにも行きたいと思っていました。

でも、スケジュール的に無理があったのと、初渡米かつ、道中一人で相当びびっていたので「また今度」と思って、終わっていたのです。

石橋を叩きまくる己のビビり具合に嫌気がさしていましたが、この時ばかりは物事の先延ばしが功を奏したのでした。

スクーターの音がおかしい

これは、東京に住んでいた頃のことです。

夜に、人気の少ない場所で自転車をこいでいたら、後ろから来るスクーターの「音」が明らかにおかしいのです。

スクーターの音がおかしいなんて、それまで思ったことがありません。

でも、その時は改造とも違う気味の悪さ、不穏な空気を感じたのでした。

まだ何も起きていないし、起きないかもしれない。

でも、危険を察したことで、ビビり屋の私は、どうやって身を守ろうか考えました。

直進していた私の左側には、空き地が広がっています。

少し先に進んだら、道が二手に分かれる。

左に進んだら、自転車を倒される可能性がある。

右手は住宅が並んでいるけれど、外灯はついていない。

右折したら狭い道路。

倒されて壁に頭をぶつけたら、危ない。

自転車の籠の中のカバンには、家の鍵を入れている。

取られてはいけない。

どちらに曲がっても危ない。

最終的にそう判断した私は、自転車の速度を下げ、鍵を取られないよう、ハンドルにカバンの取手をひっかけました。

でも、これだって危ない訳です。

そうこうしているうちに「嫌な音」と共にぞっとする感じが、傍に近づいてきます。

すれ違いざまに右胸をつかまれたのですが、声も出せず、嫌な感触がずっと残りました。

でも自転車を倒されずに、なんとか自分も鍵も守れたのは、不幸中の幸いでした。

3つの共通点

これらの三つの出来事に共通するのは、「直感によって、自分を守る」ということなんですよね。

今、私は、EFTタッピングの手法を用いて、無自覚の感覚を言語化し、ありのまま認め、掘り下げる「他人軸から自分軸への軌道修正術」を提供しています。

セッションを提供し続けて思うことがあります。

それは

人の感覚は、出来事が生じる前に、何かを察しているのではないか

ということ。

そんな訳で、「直感」含め「感覚」は「危険」を回避したり、自分を守ったりしながら、自分らしく幸せに生きられるように促している、と感じるのです。

そう考えると、感覚の言語化は「リスクマネジメント」でもあるのですよね。

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