事実と感情を分けたら全ての出来事に意味があるとは思わなくなった話

全ての出来事には意味があるという話があります。

私も昔、そう思っていた時期がありましたが、今は違います。

出来事は出来事に過ぎない。

出来事そのものに意味がある訳じゃない。

出来事に対し、自分が何を思い感じ考えて行動し、どんな結果を得たのかが、自分にとっての意味となり得る

と捉えています。

これは、EFTタッピングを通じて、事実と感情を分ける中で気づいたことです。

よく、嫌なことが起きたと言いますが、実際は「(自分が)嫌だと感じることが起きた」なんですよね。


同じ出来事でも、100人いたら、100通りの捉え方があります。

人の背景には、「過去の欲の積み重ね」という歴史があり、出来事にどんな反応を示すのかは、皆違うはず。

だから、人によって意味は違うはず、なのです。

目次

全ての出来事に意味があると思っていた時のこと


十数年前、私が事故に遭ったことに対し、
「不幸・不運を引き寄せた・・」
「ネガティブな私の思考が事故を呼び寄せた」
という言い方をなさった方が、何人かいらしたんですね。

当時の私もそう思っていました。

自分の過去を振り返り、ばちがあたったのかもしれないなんて考え、自責したこともありました。

事実と感情を分けると出来事は出来事に過ぎなくなり捉え方も変わる

でも、今はそうは思わないのです。

事故は事故。

事故って、災害・誰かの不注意・過失などが絡んで生じます。

私には過失はありませんでした。

運転中、赤信号で停止している所に、後続のトラックが加速していると気づいた時点で、できるだけ前に移動する以外はどうすることもできませんでした。

自動車を運転するなら、事故って、隣り合わせ。

免許を取得してから、追突される日まで、たまたま遭遇しなかっただけ。

だから「自分にはそんなことは起こらない」と思っていただけ。


じゃあ、車を運転しさえしなければ、私は事故に遭わなかったのか。

常に安全でいられるのか。

不条理、理不尽と感じることが、絶対に起こらなくなるのか。

私は、幸せでいられるのか。

ずっとポジティブでいられるのか。

そんなことはないのですよね。


事故が怖いからといって、家から出ずにいても、室内で怪我をするかもしれない。

結局のところ、目の前の出来事に対し、自分が何を思い感じ考えたのか。

自分はどうしたいのか。


何をする必要があるのかを考え、対応していくことが大事なのだと思っています。

この話は次回に続きます。

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