わからないなりにわかりたい

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

今は非公開のアメブロの記事に、EFTタッピングに取り組む以前は、あれこれ敏感に感じ取っては疲れていたと書いたことがあります。

人の辛さを感じ取って、自分も辛くなる。
それを引きずってしまう。

そのようなことが度々あったのですが、EFTタッピングを使い、ヒト・モノ・コトに対する、自分の感情や思考などをありのまま認め、掘り下げながら、事実と感情をわけていくうちに、少しずつ変化が出てきました。

私は誰かの言動に対し、自分が敏感に思い感じ考えたことを、あたかも事実のように捉えていた。

でも、実際はそうじゃない。

そう気づいてからは「自分は自分」「人は人」と分けられるようになったのです。

これにより私は、人の辛さを感じ取っていたつもりで、実際は過去の自分が感じていた辛さを、その方の辛さに重ねて
感じて「わかる」ような気になっていたことにも気づきました。

相手の話を聞き、共感しているようで実際は、慰めになりそうな、気の利いた言葉が自分の内側にないか、無意識のうちに探すことに気を取られてもいたのです。

それがうまく行かず、的を射た言葉が出せないと感じる時に落ちこんだり、引きずったりすることも「人の辛さを感じ取って、自分も辛くなる」という表現の中に、含まれていたのでした。

相手のことを大事に思っている。

でも、実際は、自分自分自分・・となってしまうのは、「良い人になること(共感すること)で相手からの評価を得ようとする」無自覚の他人軸の癖で対応していたから、だったのです。

「あの人はこう思っているに違いない」と察して理解したつもりになっていた私でしたが、EFTタッピングを使った実践的な取り組みを通じて、相手のことは相手にしかわからないと実感する機会がありました。

わからないなりに、わかりたい。

だから、相手のことは相手に聞こう。

今では、共感するしないに拘わらず、辛いと感じているその方が、私に話したいと思って喋っていることを、そのまま聞くことが大事だと考えるようになりました。

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