自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
EFTタッピングを提供開始して3年目。
クライアントさんから、このような質問がありました。

引き寄せ、ミラクルといった表現で、こんなにすごい事がありました!良い事がありました!という内容って、引き寄せた、ミラクルがあった、ハッピー!という所までしか書いてありませんよね。

私は、引き寄せた、ミラクルがあった後、時間が経過してみて、どうなったのかを知りたいのに、それが書かれてあることってないんですよね。

どうしてなんでしょう?
アイホージュを立ち上げる前の私も、同様のことを思っていました。
感情や思考をありのまま認める、EFTタッピングを通じて、私はその答えを探ることになったのです。
本記事では、欲の扱い方が自分軸か、他人軸かによって「引き寄せの法則」の捉え方や使い方が違うことを事故の後始末という私の事例・体験に沿って紹介します。
引き寄せの法則とは
ところで、あなたは「引き寄せの法則」をご存じでしょうか。
- 何を実現したいのかを明らかにする
- 望んだことが実現するのを信じて疑わず、願った後は、何もしないで待つ
- 実現するのを待っている間、望んだことが叶ったように振る舞う
- 実現するのを信じて疑わないようポジティブに振る舞う
- 実現しないのではないかと疑ったり、ネガティブなことを一切考えないようにする
このような感じの内容です。
引き寄せがうまくできない
私がこの法則を知ったのは、事故の後始末を納得して終えたいけれど、どうしたらいいのかわからないと感じていた頃。
助っ人に合う前のことです。
集めた情報が、自分の現状を変えたり、悩みを解決したりすることに結びつかないと感じていた私にとって、引き寄せの法則もまた、うまく使えないと思っていました。
例えば、
1・何を実現したいのかを明らかにする
そもそも、自分がどうしたいのかがわからない。
現状が嫌で、変えたいとは思っているけれど、具体的に何をしたいのかがわからない。
2・望んだことが実現するのを信じて疑わず、願った後は、何もしないで待つ
これは、どういうこと?
何もせずに、ただ願えば実現するってこと?
3・実現するのを待っている間、望んだことが叶ったように振る舞う
4・実現するのを信じて疑わないようポジティブに振る舞う
5・実現しないのではないかと疑ったり、ネガティブなことを一切考えないようにする
なんて、無理がある・・。
これらの内容は、当時の私にとって、内心ネガティブを抱えたまま、周囲の人たちに対し、表面上、うまくいっているように装うことを意味していました。
こんな感じだったので、実践しても、何の手ごたえもありません。
曖昧な箇所が多く、自分が間違っているのかもしれない。

正しいやり方を知りたい。
そう思っていました。
あなたは、どうでしたか?
自分軸と他人軸とでは異なる引き寄せの法則
欲の扱い方が、自分軸と他人軸、どちらなのかによって「引き寄せの法則」の捉え方も、使い方も違う。
これは、十数年に渡って、EFTタッピングを使って、自分の感情や思考などをありのまま認め続けた、私の見解です。
他人軸の場合、意識が外を向いていて「ヒト・モノ・コトそのもの」を見ています。
自分軸の場合は、意識が内を向いていて「ヒト・モノ・コトに対して生じる、自分の感情・思考・言動・結果」を見ています。
だから、同じ引き寄せの法則に関する情報を読んでも、捉え方や実行の仕方、意味合いなどが異なるのです。
強く願って引き寄せたもの?
助っ人と出会い、感情や思考の扱い方は他人軸のまま、行動だけを自分軸に変え、一年が経とうとする頃。
最初の話

私は事故とは関係のない「とあること」で困っていました。
期限があるため、それまでに、手を打たなければいけない。
なのに、どうにもできそうにない。
このような状況で焦る中、私は何とかなることを強く願いました。
そうしたら、数日もしないうちに、望みが実現。
あるものを得て、期限内に解決することができたのです。
すごいタイミング!
驚くと共に、ほっとした私の中から出てきたのが「願えば叶う」「引き寄せ」という言葉。

でもこれって、引き寄せというより、私が行動した結果じゃ・・。
そう思うのには理由がありました。
二カ月以上前に、自分が取り組んだことの結果が、このタイミングで出たために「とあること」が解決したからです。
二カ月前に取り組んでいたこととは?

たまたま「自分が願ったタイミング」と「以前、自分が取り組んだことの結果が出たタイミング」が合ったに過ぎませんでした。
仮に「願いが叶わないレベルの結果」を得ていたとしたら「とあること」は解決せず、引き寄せは成立しないのです。
じゃあ、引き寄せって何だろう?と思った出来事でした。
願いが叶ったその後に起きたこと
願いが叶った時は、本当に嬉しかったし、ほっとしました。
でも、これは一時的な安堵に過ぎなかったのです。
数か月も経たないうちに、私は再び同じ問題を抱え「とあること」で困っていました。
その時は、強く願えば叶うとは、どうしても思えませんでした。

以前のように、行動した結果が出るようなことが何もない・・。
そう感じていたからです。
結局、私は身近な人に事情を話し、助けを得て、一時的に「とあること」を解消し、その場をしのぎました。
自分にとって本当に必要なことは何?
私に本当に必要なことは何だったのでしょう。
だったのです。
私の問題は自分の欲を、他人軸で扱っていたために起きていました。
今(2024年)の時点から、過去を振り返ると、私は幼い頃から、この問題を、ヒト・モノ・コトを変えて、繰り返しているのです。
ただ、事故に遭うまでは、周囲の庇護や自力によって何とかなっていた(その場をしのげていた)ので、問題にはなりませんでした。
でも、水面下では違いました。
「何とかなっていた」ことが、自覚のないその場しのぎや、必要な対応の先送りとなり、時間の経過とともに、問題の種が育ち、それがヒト・モノ・コトが絡んだ状態で広がっていたのです。
事故を機に状況が変わり、身動きが取れなくなったことで「とあること」で困るという問題に直面したのでした。
困った時に、ただ良い結果(ヒト・モノ・コト)を引き寄せたり、願うだけで叶ったり、偶然のタイミングを引き寄せることができても、欲の扱い方が他人軸のままでは、その場しのぎをするので精一杯。
手に入れた、ヒト・モノ・コトなどを活かすことなど、私にはできませんでした。
でも、解決方法を身に着けることなく「何とかなる」という楽観で、問題を繰り返すのであれば、自力で何とかしようが、人の助けを得ようが、私は自覚なくヒト・モノ・コトを変えた状態で、その場をしのぎ続けるだけ。
自力では何ともならず「もう助けも得られない」となったら?
そうなる前に「一時的な助けを得られる内に、同じ問題を繰り返し引き起こす、自分の欲の扱い方を理解し、軌道修正を積み重ねること」が必要だったのです。
本当に大切なことを引き寄せた体験
事故の後始末を通じて、関係する方々の、様々な形の助けを得ながら、感情や思考は他人軸のまま、行動だけを自分軸に変え、結果を得続けていた私にもたらされたこと。
それが下記の記事で紹介する「喜ばしい結果を得るはずが、残念なお知らせを受けた、一本の電話」です。
一本の電話とは?

この電話を機に私は、EFTタッピングのセッションを受けると決めました。
当時、何の役に立つのかもわからなかった、EFTタッピングですが、これが「視点・思考・感情の扱い方を、他人軸から自分軸へ軌道修正する、初めての体験」となったのです。
喜ばしい結果を得るはずが、そうならなかったために、無自覚のうちに、ヒト・モノ・コトを変えながら問題を引き起こす、自分の内側と、初めて向き合い方を知るきっかけを得ていたのです。
「感情や思考をありのまま認めるとは、自分軸で欲を扱う方法」です。
他人軸のまま、行動だけを自分軸に変えていた私にとって、「探していた片割れ」にやっと手が届いたようなもの。
使えるようになるのは、まだ先のことですが、「何が起きているのかわからないけれど、効果を実感した」体験は、後の人生に結びつき、活きることになるのです。
当時は喜ばしい結果になるはずが、そうならなかったことを、受け入れ難いと感じていました。
でも今(2024年)の時点から振り返ると、想像には及ばない展開が見え、うまくできているなあと感心するばかりです。
もし、あの時「喜ばしい結果」を得ていたら、私はEFTタッピングで、ネガティブな感情や思考をありのまま認める機会を逃すことになる。
そうなると、解決方法も知らないまま、その場しのぎをすることになる。
他にも後に起こることを考えると、ここでEFTタッピングを体験するのがベストであることを、今の私は知っているのです。
自分軸でも他人軸でもいつも何かしら引き寄せている
私が、集めた情報が現実を変えることに結びつかないと感じていたのは、他人軸が原因でした。
他人軸の引き寄せとは「ヒト・モノ・コトが自分の思い通りになること」
周囲の承認を得られる行動を、自分が取りさえすれば、必ず、良い結果(ヒト・モノ・コト)が得られて、物事がうまくいく
という無自覚の思い込みが、生じている状態にありました。
例えば「●●すればうまくいく」という情報を、一字一句間違わずに、発信者の言う通りに実行すれば、必ずうまくいくと感じるのです。
常に引き寄せがうまくいくことで、自分は周囲に認められる存在で、特別な能力があるなどと感じます。
そのため、常に「良い結果が得られるかどうか」に着目しているのです。
「良い結果」を得て、一時的な喜びを感じた後は、「うまくいく」という自分の思い込みと現実との間で、ギャップが生じます。

思っていたのと違った。

うまくいくと思っていたのに。

一気に何もかも変わると思っていたけれど、そうならなかった。

これを引き寄せたからって、人生は何も変わらない。
自分の思い描いた通りになるはずなのに、現実はそうならない。
なぜなのか。
そう感じて、また別の良い「ヒト・モノ・コト」を探したり、引き寄せようとしたりしていたのです。
このような状態で、内心不満や疑問を抱えていても、表面的にはいくらでもあれこれ引き寄せたと言えるし、幸せアピールもできます。
でも、私はそのやり方に抵抗を覚え、別な方法があるのではないかと思っていたのです。
この時の抵抗によって生じた疑問「別の方法があるのではないか」が「引き寄せ」だなんて、他人軸のままだったら、一生気付けなかったと思います。
自分軸・他人軸・どちらであっても、その時の自分に、必要な気づきだったり、術だったり、いつも何かしらがが、
もたらされています。
ご自身のそれに気づいて活かせるかどうかは、あなたにかかっているのです。
今日は、他人軸の堂々巡りで、しんどい思いをした過去の話を紹介します。
この時に、しんどい思いをした経験が、後にEFTタッピングへと結びついていくのですが、それはまだ先の話。

もしあなたが、今、堂々巡りをなさっているのであれば、他人軸を疑ってみるのも手です!
他人軸の堂々巡りはしんどいぞ!
通院と最低限のこと以外は寝ていた時期を経て、起きている時間が長くなった頃のこと。
私は、無自覚の他人軸の癖によって、「どうしたらいいのかわからない、自分の現実」を考えては、堂々巡りをし、先の見えない不安と恐怖に駆られていました。
助っ人には、まだ出会っていません。
当時、私は休職・退職していたので、一人でいる時間が長くなっていました。
自分と向き合うには、格好のタイミング!・・だったのですが、その方法はまだ知りません。
職場にいたら、当たり前に得られるであろう、周囲からの承認(と感じる、実際は自分の判断)がないと感じる状態に陥っていました。
この場合、必然的に、周囲からの承認を得られる自分になれるよう、思考や感情の上で、辻褄を合わせる動きが出てきます。
でもですね。
悲しいかな、この時は、周囲からの承認を得ようにも自分の中に、その要素が一つも見つけられなかったのです。
だから、堂々巡りをしながら、憂いていたのでした。
休んでいるのに、思考や感情の上では、ちっとも休んでいなかったのです。
ということで、当時、思い悩んでいたことを紹介しましょう!!
他人軸の癖で無自覚のうちに周囲の承認を求めてはしんどい思いをしていた
事故って、いつ終わるんだろう。
どの位時間がかかって、どんな風になるんだろう。
体に、何が起きているんだろう。
推拿はもう無理なんじゃないかな。
でも、本当に事故のせいで無理なのだろうか。
本当に事故だけが、問題なんだろうか。
どこまでが事故で、どこまでがそうじゃないのか。
私の人生って何だったんだろう?
東京に行ったのも、推拿を学んだも、全部ムダになった気がする。
この先、この年齢で再就職って言っても、青森には仕事がないし、事務職に就くなら、前の会社を辞めなければ良かったじゃない。
自分にはもう何も残っていない。
体のことを学んで、自分の体も元気になったのに、今では何にもできない。
自分をコントロールするのさえ、できない。
なーんにもないんだもの。
そもそも、まだ青森に帰ってきたくなかったのに・・。
それに、なんで、あのタイミングで、引っ越ししたんだろう。
2日しか住んでいないマンションを、引き払って青森に帰ってくるんだったら、引っ越ししなきゃよかった。
まだ契約期間内だったから、もう少し待てば良かったのに・・。
あーお金をムダにした。
あー自分がイヤだ。
己を罵る言葉は、止まることを知りません。
あの時も、この時もと、過去の自分に対するダメだしが延々と続きます。
なぜなら、ダメ出しをすることによって、周囲からの承認を得られる自分になろうとしていたからです。
これ、保身のためにやっていることなのですが、実際は自分を守るどころか、傷口に塩を塗っています。
他人軸がしんど過ぎた結果
無自覚の自動操縦で、どこまでも周囲の承認(と感じる、実際は自分の判断)を求めていくのが、他人軸。
しんどい上に、何が起きているのかがわからなかった私は、いいことを思いつきました。

そうだ!何も感じなければいいんだ!
感じるのをやめたのです。
そして、本当に、何も感じなくなりました。
最初は快適だったのですが、数日が過ぎた頃、このやり方はダメだと思いました。
イヤなことを感じないということは、嬉しさや喜びといったものも感じないのです。
再び、他人軸で堂々巡りをする日々が始まりました。
しんどい思いは続いていましたが、それでも「何も感じないという方法はダメである」と知ったのは、前進です。
たった一歩でしたが、確かに自分軸へと近づいていたのです。