自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
他人軸の末路
短期的には、人のため、周りから喜ばれるとか、褒められるとか感じるかもしれない他人軸。
長期的に積み重ねた状態を、自分軸の観点で捉えると
これが他人軸の末路です。
居心地の悪い日常に身を置き続けるとは
楽しいことも、嬉しいこともあるけれど、居心地の良くない自分の日常。
今までそうするしかなかったから、諦めている訳じゃないけれど、居心地の良くない所で身を置き続けるのが当たり前になっている。
不快に感じていても、そこ止まり。
具体的に何かを変えたい、変えようとは思いもつかないまま、日々を過ごしていく。
ぼんやりとした不満、不安などをいつも抱えていて「何とかしなきゃ」と思って考えても、堂々巡りをしたり、焦ったりするばかり。
やりたいことをやる、なりたいものになるだなんて、現実味がない。
その場をやり過ごすので精一杯で、自分がどうしたいのかがわからない。
周りから、欲しいものを選んで良いと言われても、わからない。
自分が選んだ何かが、本当に欲しいものなのかも、わからない。
値段や周囲の事情などが気になり、つい間に合わせのものを選んでしまう。
または、いつも自分の欲しいものが、目の前の選択肢としては出てこずに、欲しくもない、間に合わせなものを選ぶしかない。
自分の将来が良くなるとは思えずに、悲観してしまう。
周りの人がうまくいっているように映るのに、いつも自分ばかりが割を食うと感じる。
でも、人のために良いこと(他人軸)をしているのだから、いつか報われるんじゃないか。
期待を持ちつつも、実際は何ともならないんじゃないかとも思っていて、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。
期待と悲観に揺れる、慣れた、居心地の良くない日常は、自分にとって余りに当たり前で、疑う余地がありません。
何十年でも居心地の悪い場所でその場を凌げる
他人軸の状態では、周囲の承認と安定を得ることが目的になるので、本当に必要な手が打てないまま、十数年でも、二十数年でも、三十数年でも、居心地の悪い場所で、その場を凌いでいけるのです。
他人軸の欲の扱い方(視点・感情・思考・選択・言動の扱い方)のままでは、抜け道がありません。
無自覚であるが故にできること、なのですよね。
なので、自分軸の観点で、感情や思考、言動などをありのまま認めて、軌道修正していく必要があるのです。
十数年に渡り、仕事として、個人として、EFTタッピングに取り組んできましたが、「抜け道がないまま、居心地の悪い中に留まり続ける」ことが、他人軸の恐ろしいところだと思っています。
セッションでも、無自覚の動きを言語化・意識化したクライアントさん達から「怖っ」と声が上がります。
でも、怖いということがわかるのは幸いです。
なぜなら、ヒト・モノ・コトを変えて、同じことを繰り返しそうになる場面で気づき、軌道修正へとつなげて、自らを救済し、持っている力を出していけるようになるからです。