当サイトで紹介する、他人軸・自分軸に関する内容は、アイホージュが運営する、自分軸教習所のオリジナルコンテンツです。
「悩みを題材に、感情や思考、言動などをありのまま認める」EFTタッピングで変化の体験が先行したことから、何が起きているのかを明らかするため、2009年より延べ1,300名様に提供してきたセッション内容や、自身の取り組みなどを細部に渡り、言語化したものを知識化、体系化したものです。
本記事では、継続セッションを掘り下げて知り得た、他人軸になる原因と大人は他人軸をやめて良い理由を徹底解説します!最後まで読むと、大人は他人軸をやめて良い理由がわかります。
他人軸と自分軸とは何か【共通点と違い】
他人軸も自分軸も、幼い頃に、自らの内に形成した「自分の欲を自分で扱う方法」です。
あなたは日々、ヒト・モノ・コトを変えつつ、どちらかの軸に沿って、ご自分の欲を扱い続けて現在に至っています。
他人軸と自分軸の共通点
下記の図をご覧ください。
自分軸・他人軸とは何か?の記事で、ヒト・モノ・コトに対して生じる、自分の欲を自分で扱う際に中心となる「自分がどうしたいのか」は、マズローの図で言う、3段階目の社会的欲求だと述べました。
「自分がどうしたいのか」に当たる、3段階目の社会的欲求は、2段階目の安全欲求と4段階目の承認欲求の間にありますよね。
これは
ということであり、自分の欲を扱う際は、自分を守りつつ、周囲の人たちとの関係をも守るということを意味しています。
他人軸と自分軸の違い
自分を守ることが、周囲の人間関係を守るということが絡むために
他人軸で生きている人は、ヒト・モノ・コトの動きに合わせて、自分の在り方を決める
自分軸で生きている人は、ヒト・モノ・コトに対して生じる感情や思考などに沿って、自分の在り方を決める
という欲の扱い方をしています。
下記の図をご覧ください。
他人軸と自分軸では、中心となる3段階目の「自分がどうしたいのか」の扱い方が違います。
最初の対応が違うと、当然、次、次と違ってくるのです。
他人軸の特徴
他人軸の欲の扱い方の特徴は、4段階で周囲の承認が得られる前提で、3段階目の「自分がどうしたいのか」を「あるのにない」「ないのにある」とすること。
例えば
- 本当は思っていることがあるけれど、怖くて言えない(相手と波風を立てずに表面上関係を良好に保つことで承認が得られなくなるのを回避)
- 本当は嫌なのに断れない(表面上、合意することで波風を立てずに承認を得る)
- 見栄をはってお金があるフリをして大盤振る舞いをする(お金を払うことで承認を得る)
- 何かおかしいと思ったけれど、言い負かされる(表面上、言うことに従い承認を得る)
- やりたいことがあるけれど、失敗して笑われたくないからやらない(承認を得られないことを回避)
- 自分のことより人のことを考えて行動する(承認を求める)
などと言った具合に、承認を求めて、ヒト・モノ・コトに対し、自分の思いを「あるのにない」「ないのにある」と振舞う日々を積み重ねています。
自覚なく問題の種を生む他人軸はやめたほうがいい
優しいとか、人に配慮していると言われる他人軸ですが、自分軸の観点で「周囲の承認を求める」欲の扱い方を捉えると、自覚なく問題の種を生み、自分も周囲も守れなくなることがわかります。
- 本当は思っていることがあるけれど、怖くて言えない→必要なことを言わない
- 本当は嫌なのに断れない→断らずに受け入れる
- 見栄をはってお金があるフリをして大盤振る舞いをする→プライドは守れても本当に大切な自分や家族は守れない
- 何かおかしいと思ったけれど、言い負かされる→断らずに受け入れ、都合の良い人になり下がる
- やりたいことがあるけれど、失敗して笑われたくないからやらない→自分の欲しいものを自分が取り上げる
- 自分のことより人のことを考えて行動する→頼まれていないことをやって感謝しない相手に苛立つ
ただ、他人軸の観点では「周囲の承認を得る」ことが、自分と周囲を守ることにつながります。
そのため、常に「周囲の承認が得られるかどうか」に意識が向いています。
問題とは「周囲の承認が得られないこと」
自分は、「あるのにない」「ないのにある」と振舞うことで、承認を得るための行動を取ります。
承認を得るための行動を取っているのに、それが得られないと感じる時は、思い通りにならない周囲に問題があると感じて「常識がない」思ったり、承認を得られない自分が「ダメ・悪い」と自責したりします。
自分の内側で思い感じ考えていることが事実と感じるため、外側のヒト・モノ・コトを思い通りに動かそうとして、新たなトラブルを引き起こします。
やめたほうが良い他人軸をやめられない理由がある
やめたほうが良い他人軸ですが、やめられない理由があります。
それは、自分の欲を自分軸で扱う方法が身についていないこと。
そのため、トラブルが生じても必要な対応が取れず、問題の種が小さく生まれ、時間の経過とともに育つ一方。
加えて「自分がどうしたいのか」に沿って動く時は、必ず他人軸の「周囲の承認」が絡みます。
なので結局、他人軸からは抜けられないのです。
どうしてこのようなことになったのか。
ここまでの内容を踏まえて、他人軸になる過程と原因に触れていきます。
他人軸になる原因やきっかけは幼少期にある
詳しくは順を追って説明しますが、人は最初から、自分で自分の欲を扱える訳ではありません。
成長によって欲の扱い方が切り替わる幼少期に、自分軸・他人軸、どちらを形成するのか、きっかけ・原因となる、いくつかの出来事があります。
複合したものが、あなたの「軸」となっていきます。
他人軸の形成に関わる4つのこと
あなたが軸を形成する背景には、下記の4つのことが関係しています。
- 周囲の庇護のもとで育つ、幼い「子ども」という自分の立ち位置
- 成長によって欲の扱い方が変わる
- 親は子の幸せを願っている
- 気質・その人(子)らしさ
本記事では、これらのうち、1-3の内容に触れながら、他人軸になる過程や原因を詳しく説明します。
4については、ここでは簡単に触れるに留まり、詳しくは別な記事で説明する予定です。
生まれたばかりの頃の欲の扱い方|子どものありのまま
冒頭で述べた通り、他人軸も自分軸も、幼い頃に、自らの内に形成した「自分の欲を自分で扱う方法」です。
でも、人は最初から、自分の欲を自分で扱える訳ではありません。
ここで、生まれたばかりの頃の、欲の扱い方を振り返ってみましょう。
あなたは、そこにいるだけ。
親や周囲の誰かが、あなたのあるがままの雰囲気・様子・態度などを伺いながら、何が必要なのかを察し、与え、面倒を見てくれた。
のではないでしょうか。
図で見る生まれたばかりの子の欲の扱い方
この動きを、マズローの図に沿って説明します。
- 4段階目の、子の外側の態度・雰囲気・様子・態度から
- 3段階目で、何が必要なのかを察し
- 2段階目で、成長と命を守るために
- 1段階目で、子に必要なものを与える
という周囲の対応によって、初めて、子の1-4段階が満たされます。
図で見る各段階の欲の満たし方
次は、各段階の欲の満たし方について説明をします。
下記の図をごらんください。
生まれたばかりの頃、あなたは、飲む・寝る・排せつするなど、主に1段階目の欲を満たしていました。
なぜなら1段階目を満たすことが、2段階目で命を守ったり、心身ともに成長したりするために必要なことだからです。
2段階目までを満たせて、初めて3段階目の社会的欲求「自分がどうしたいのか」を扱えるようになります。
でも、生まれたばかりにあなたには、3段階目の欲となり得るものとなる感覚・感情はあっても、自分がどうしたいのかも、何が必要なのかもわかりません。
言葉も話せませんし、立ち上がり、歩くこともしません。
もちろん、周囲に対する配慮もしません。
周りの人達も、あなたが3段階目で、内心、何を求めているのかはわかりません。
でも、4段階目で、社会に存在する、あなたの外側の態度・様子・雰囲気から、3段階目で何が欲しいのかを察し、与えることができます。
周囲が必要と判断したものを与えることで、初めてあなたの1-4段階は満たされます。
このように、最初の欲の扱い方は
- 子を生み育てると決めた親が、子の欲を認め満たす
- 生まれたばかりの子は、あるがままにある
という、互いの尊重によって、成り立ちます。
これが「子どものありのまま」です。
自分の感情や思考などをありのまま認めるという、自分軸の欲の扱い方とは異なるので、「子どものありのまま」の図を黄色で表しています。
もし周囲が、子の欲求を満たすことを怠ったり、放棄したりした場合。
子は、自分ではどうすることもできません。
1段階目の欲求が満たせないので、生命の危険にさらされます。
子は自分も、周囲も守れない状態で存在しているので、自分の欲が満たせるかどうか、自分の生命を守れるかは、常に周囲次第なのです。
成長によって欲の扱い方が変わる
何もわからなくても、そこにいるだけで、周囲に自分の欲を認め、満たしてもらう中で、子は少しずつ成長します。
日々、ヒト・モノ・コトに触れながら、カタコトの言葉を話したり、立って歩き回ったりするようになるうちに、あなたの内側に自我が芽生えます。
これを機に、生まれたばかりの頃とは違う、新しい欲の扱い方を、周囲とのやり取りを通じて少しずつ習得する必要があります。
新しい欲の扱い方とは、「自らの内に生じる、自我(欲)を自分で扱う」こと。
自我とは色々な捉え方がありますが、ここでは3段階目の社会的な欲「自分はどうしたいのか」になり得るもののことを指します。
欲となり得るものとは、社会に存在し、ヒト・モノ・コトに接する中で、自らの内に生じる感覚・感情のこと。
自我をどのように扱うのかが、後の「自分軸」か「他人軸」になります。
ただ、自我が芽生えたからといって、いきなり子の欲の扱い方が変わる訳ではありません。
最初の欲の扱い方である「周囲に自分を認め、満たしてもらう」と「周囲の承認(助言や励まし、叱咤など)を得つつ、自分の欲を自分で扱う」を行き来しながら、数年~10年ほどの時間をかけて、自らの内に軸を作って行きます。
自分と人間関係を守りつつ自分の欲を自分で扱う方法を学ぶ
子どもは多くの可能性を秘めています。
ですが、幼いが故に、まだ何も知りません。
目新しいヒト・モノ・コトに触れつつ、感覚・感情・好奇心の赴くままに動いたり、周囲に配慮なく思い感じたことをそのまま口に出したり、いきなり走りだしたりします。
知らないということは、怖いもの知らずであり、命知らずでもあります。
周囲によって、子の下層の欲求である1-2段階がある程度満たされた状態で、上層の欲求を扱う訳ですが、その際には、自らを守る必要があります。
そのため、子は周囲とのやり取りを通じて、承認や助け、伴走などを得ながら、自分や人間関係を守りつつ、自分の欲を自分で扱って物事を成す方法を日々、段階的に学んでいかなくてはなりません。
例えば、それまで好奇心の赴くままに動いていた子が、周囲とのやり取りを通じて「遊びに行くときは、左右を確認してから道路の向こうに渡る。飛び出しをしない。」と理解し、実行することが、自分や家族、ドライバーの人生や安全を守ります。
だから「自分で自分の欲を扱う」にあたっては、周囲の人たちから「物事の道理」「常識」「様々なルール」「言葉の選び方」「自分の守り方」「周囲への配慮」などを教わる必要があったのです。
自分の欲を自分で扱う方法は、子ども一人だけでは、身に着けられないのです。
幼いことが免罪符になる時期は長くない
「幼い」が免罪符になる時期は、長くありません。
幼いから許されるだけ。
少し成長すると、許されなくなることや、大人だと許されないことがたくさんあります。
例えば、小さな子が思ったことをそのまま言い、その内容が相手にとって、辛辣と感じるものだとしても「まだ幼いから、子どもは正直だから」と許されます。
ですが、同じことをやっているのに、数年成長するだけでトラブルのもとになります。
自分を守るとは、欲を認め満たすにあたり必要な、自分の思考や選択、言動の扱い方に責任を持つことでもあるのです。
成長に合わせた欲の扱い方が必要になる
成長に合った、欲の扱い方を身に着けるのは、生きて行く上でとても大切なことです。
仮に、言葉も、体も成長しているにも関わらず、生まれたばかりの「子供のありのまま」の欲の扱い方しか身に着けていないとなると、一人では何もできなくなります。
ただそこにいるだけで、周囲に何もかもが与えられると感じる状態のまま、自分の欲を自分で扱えなくなるからです。
幼いが故に、一身に受けていた、周囲からの注目・承認は、成長によって減って行きます。
当たり前に得られていた周囲からの承認が減ると、感覚的に心許なくなり、不安定になります。
そのため、注目・承認をつなぎとめようと、周囲に執着したり、依存した行動を取ったりするようになります。
自分がどうしたいのか。
人に、何を伝えたらいいのか。
人から、何を聞けば良いのか。
自分はそのために、何をする必要があるのか。
自分のことが何もわからなくても、「相手が自分の欲しいものを察し、それを与えるのが当然」「ヒト・モノ・コトが自分の思い通りになって当然」などと感じ、そのように振舞います。
物事がうまくいかないのは「自分の思い通りに動かない、周りのせいだ」と感じます。
肉体の成長によって、周囲に暴言を吐いたり、暴力を振るったり、キレたりするようになるかもしれません。
承認を得られた・得られないという、周囲の目と感じる自分の判断によって、相手を裁きます。
人のせいにして生きて行くことになるため、周囲の人達からは、自分勝手、わがままに映ります。
自分も周りの人も守れないし、力の扱い方もわからないとなると、トラブルが絶えなくなります。
トラブルによって、周囲の注目が自分に向くこともまた、承認を得る方法になるのです。
このままだと、人生を棒に振りかねません。
だから、成長に合った、欲の扱い方を身に着ける必要があるのです。
親は子の幸せを願っている
前述しましたが、「自分で自分の欲を扱う方法」は、周囲とのやり取りを通じて、承認をや助けを得ながら、段階的に学び、身に着けるものです。
親は、子の幸せを願っていると言います。
子の態度や思考、話す内容、行動などを受け止めつつ、幸せに生きられるように導いています。
そのため、子が自分軸・他人軸、どちらを身に着けるのかは、最初に所属する社会である、家族・親の影響が大きいのです。
幸せとは何か
自分軸と他人軸では「幸せ」の定義が違います。
自分軸は「自分と周囲の違いを尊重しながら互いに刺激し合い、発展していくこと」
他人軸は「周囲に認められる自分であり続けることで、安泰した人生を歩むこと」
大人達は、何を幸せと捉えていたのか。
普段、どちらの軸に沿って、自分の欲を自分で扱ってきたのか。
これにより、子への接し方(承認や伴走の仕方)が決まります。
2-40年程、先に生きている親の身としては、自分が「失敗だった」と思っている道を、子には歩かせたくない。
健康で、自分らしく、豊かに、実り多き人生を歩んで欲しい。
親が思い感じ考える幸せを、子に託すのかもしれません。
それは、親にしかわからないことです。
親の接し方によって、子が自分軸・他人軸、どちらを身に着けるのかは、子にしかわからないことです。
欲の扱い方を身に着けるにあたり四世代上の影響を受ける
子の幸せを願って「自分と人間関係を守りつつ、自分の欲を自分で扱う方法」を教える大人達は、一世代か、二世代上です。
人によっては、三世代上の方もいらっしゃるかもしれません。
そして、その大人達も、子と同じように、上の世代から教えを受けます。
つまり、あなたの欲の扱い方は、確実に、一~四世代上の影響を受けているということ。
そう考えると、あなたの欲の扱い方は、一~四世代下の幸せに、影響を及ぼすことにもなるのです。
現世で、日々、自分の欲を適切に自分で扱うことが、後世の幸せにつながっていくということを、頭の片隅に置いておきたいものです。
子は常に周囲次第という立場で自分と人間関係を守る方法を身に着ける
数年ほど成長すると、自分と人間関係を守ることを前提に、周囲を観察しつつ、やり取りを通じて承認を得ながら、自分の欲を自分で扱うようになります。
「自分で自分の欲を扱う」といっても庇護のもとにあるうちは、子の「下層の欲求」・「上層の欲求」を満たせるかどうかは常に親・周囲次第です。
自分で稼げる訳でもない。
家が嫌だからといって、逃げられる訳でもない。
ヘタに周囲の機嫌を損ねると下層、上層のどちらか、もしくは両方の欲求が満たせなくなったり、自分を守れなくなったりするかも知れない、立場の弱い存在です。
このような状態で、親・周囲を相手に「これをやりたい」「あれをやりたい」「これが欲しい」「こうなりたい」「あれが嫌だ」「これは食べたくない」「こんなことしたくない」「面倒くさい」など、3段階目で自分の思い感じ考えたことを4段階目で話す訳です。
周囲を観察するといっても、まだ子ども。
何の気なしに、思ったことをそのまま喋る場面も多々あります。
子が話した内容が、親や周りの人達に、どのように受け止められたのか。
それに対し、子であったあなたが、幼いなりに、何を思い感じ考えて、行動するようになったのか。
これが、自分で自分の欲を扱うにあたって必要な軸を、自らの内に確立するきっかけとなるのです。
実現するしないに関わらず、ひとまずそのまま子の発言が周囲に受け止められ、問答を通じて「自分と周囲の違いを尊重しつつ、物事をなしていく」自分軸を身に着けていくのか。
それとも、子が内心、どう思っていても、表面上は、周囲の大人達が望む対応を取るよう促されたり、諭されながら、他人軸を育んでいくのか。
子の内側で育まれる軸がどんなものなのかは周りからは見えません。
子にしかわからないことなのですが、本人が自覚しているとは限らないのです。
自分と人間関係を守るために他人軸を身に着ける
他人軸とは、子が、3段階目の社会的な欲である「自分はどうしたいのか」や、欲となり得る、思い感じ考えたことなどを、4段階目の対人関係で口に出した時に、周囲の反応や言動などによって
- それをやってはいけない
- 言うだけ無駄だ
- 言ったらひどい目に合った
- 橋の下に捨てられる
- うまくいかない
- お姉ちゃんだから、我慢しなければいけない
- 叱られた
などと自身が感じたことから、幼いなりに「じゃあどうすればいいのか」を考え、実行してきた方法(処世術)です。
詳しくは別記事で触れますが、「じゃあどうすればいいか」の中身は、気質やその人らしさが絡みます。
同じ他人軸なのですが、タイプが分かれ、欲の満たし方が違うのです。
他人軸になる原因|ありのままの自分でいてはいけない
下記の図をご覧下さい。
A「(子供の)ありのままの自分(軸)では、Bダメだから、C他人軸で対応するようになった」という経緯があるのです。
通常、欲求を満たす順番は下から上です。
ですが、Cの他人軸は、Bという事情により、2段階目の安心・安定を欠いたことから「じゃあどうすればいいのか」を考え、できた方法です。
そのため、2段階目の安心・安定を得ることが、他人軸の最終目的になるのです。
子の欲求が満たされるかどうかは、常に周囲次第です。
この状態で、2段階目の安心・安定を欠いてしまうと、子は心許なくなり、突き放されたり、自分が間違っているように感じたりします。
2段階を満たすには、4段階目の周囲の承認を得る必要があります。
だから、他人軸では、常に周囲の承認を得られるように、ヒト・モノ・コトに合わせて動くのです。
2段階目の安心、安定を得るために、まずは、3段階目で内心どう思っていても、4段階目で表面上は、周囲に認められる条件を満たす自分を装います。
そうすれば、4段階目で周囲の承認や、5段階目でご褒美、欲しい何かを得られ、3段階目で犠牲にした自分を周囲にわかってもらえたと感じ、2段階目で安心・安定します。
他人軸の対応は、下記の図の通り、4段階で承認を満たす止まりと、5段階までを満たすの2つです。
他人軸は、自分と周囲との間に、表面上、波風を立てずに、物事をうまくやる方法なのです。
他人軸の形成には、もう一つあります。
幼いが故に、物事がよくわからないまま、「自分がどうしたいのか」を考える以前に、周囲の人達から諭された内容をそのまま実行した所、褒められり喜ばれたり、怒られなかったりしたことで、他人軸による対応を「当たり前にそうするものだ」と捉えたかもしれません。
当たり前にそうすることで、波風が立たないので、自分と周囲を守れるのです。
ただ、他人軸は、周囲の反応である、承認によって、自分の欲求が満たせるかどうかが決まります。
なので、周囲からの承認が得られなければ、下記の図のように、安心・安定を欠いてしまうのです。
だから、常に周囲の目を意識し、承認を得られる自分になる努力をすることが必要なのです。
幼い頃は他人軸になりやすい
幼い頃は、庇護のもとにあり、自分の欲を満たせるかどうかが周囲次第になるため、どうしても他人軸になりやすいのです。
自主的に動くことはあっても、周囲の指示に従ったり、諭されたりしながら行動する場面が多く、自分軸で主体的に思考し、行動する方法を育めずに、他人軸を身に着けたとしても、幼いが故に問題とは感じません。
子にとっても「自分(がどうしたいのか)を犠牲にしている」感覚もないと思うのです。
周囲の大人にとっても、子が表面上、思い描く「いい子」に映るのであれば、問題とは感じません。
でも、子どもは成長し、大きくなります。
最初に所属する社会である、家庭(親)の庇護のもとで成り立っていた、「自分と人間関係を守る」はずの他人軸は、成長によって「自分や周囲を傷つける、生き辛さのもと」と化すのです。
大人は他人軸をやめて良い理由がある
大人には、他人軸をやめて良い理由があります。
下記の図をご覧ください。
確かに、幼い頃は、「自分の上層・下層の欲求を満たせるかどうかは、親や周囲の承認次第」でした。
でも、大人になった今、実際に、周囲からの承認を得ている訳ではありません。
「あるのにない」「ないのにある」という対応を取った後、周囲の雰囲気、態度、言動などから、「あの人は、自分のことを馬鹿にして、あんなことを言った(に違いない)」「あの人が笑ったから、自分に好意があるはずだ」といった感じに、自分が思い感じ考えたことを事実と捉えて、承認を得た・得られないを自らが判断し、安心したり、傷ついたり、一喜一憂したりしているのです。
自分の内側の判断を事実と捉えて、外側の人間関係に承認を求めることが
- ~ハラ
- DV
- 自虐
- いじめ
- 虐待
- 過干渉
- 毒親
- 老害
- 不要な散財
- マウンティング
- ストーカー
- クラッシャー
- 洗脳
などへと結びついていくのです。
このようなことに、あなたの貴重な時間や労力を費やしては、完璧に承認を得られる自分になろうと、どこまでも本来の自分を犠牲にして頑張り、自信や肯定感、存在価値を失ったり、問題の種を生んだりすることになるのです。
だから、大人は他人軸をやめた方が良いし、やめていいのです。
ただ、自分の欲を自分軸で扱う方法が身についていないため、やめたくてもやめられないという、問題が生じるのですが、これは、ヒト・モノ・コトに対して生じる他人軸と自分軸、両方の欲求を満たすことで、根本対応ができるのです。
ここまで、他人軸で頑張ってきたご自身を労いつつ、持ち味を発揮して頂きたい。
そう願って、自分軸教習所では、軌道修正術を提供しております。