自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
本記事では、悩みに対して生じる、感情や思考を、EFTタッピングの手法を使って、ありのまま認め、掘り下げる過程で明らかにした、「自分を犠牲にする」ことから始まる、他人軸の欲の扱い方と、その特徴や末路を、マズローの図を使って説明します。
自分の人生を犠牲にし続ける覚悟はありますか?
「人のため、周囲への配慮」と言われる他人軸。
普段、何気なく選択しているあなたには、それが自分や周囲のためになっているかどうかを、確認したことはありますか。
この先も、ご自分の人生を犠牲し続ける覚悟は、ありますか。
自分を犠牲にし続ける、その過程や末路はどんなものかをご存じですか。
末路を知っても、あなたは他人軸を続けますか。
この記事では、他人軸の欲の扱い方や特徴、末路の解説を通じて、自らを犠牲にし続ける覚悟を、あなたに問いかけます。
自分を犠牲にすることから始まる他人軸の特徴
以前の記事で、ヒト・モノ・コトに対応するにあたって、自らの欲を扱う時に中心となるのは、3段階目の社会的欲求だと述べました。
自分軸と他人軸には、観点と欲の扱い方に違いがあります。
自分軸は、3段階目を活かして、上に向かう
他人軸は。3段階目を犠牲にして、下に向かう
つまり、他人軸の大きな特徴は「3段階目を犠牲にすること」
最初に行う選択の影響は、当然、部分的な他の段階にも、全ての段階にも、及びます。
なお、3段階目を犠牲する理由は、別な記事で触れる予定です。
他人軸で自分を犠牲にするってどういうこと?
犠牲の始まりとなる3段階目社会的欲求
人生は、自分の欲を自分で扱うことの連続・積み重ね。
ヒト・モノ・コトに対し、何かしら思い感じ考える過程で、3段階目で「~したい・したくないなどの欲」が生じます。
欲とは、例えば
「あの人にこう思われたい」
「いい人だと思われたい」
「こんな風に思われたくない」
「こうしたいけれど、あの人にどう思われるか」
「こんなこと言われたくない」
「どうやったら、怒られずに済むのか」
「自分のやりたいことをやるために、どうしたらいいのか」
「どうしたら物事がうまくいくのか」
「絶対に嫌われたくない」
「失敗したくない」
「迷惑をかけたくない」
「知らしめてやりたい」
などのこと。
これらは、4段階目で、周囲からの承認を得る目的で、生じている欲であり、結果的に3段階目の「自分軸の、自分はどうしたいのか」が犠牲になるのです。でも、感覚的に、自分を犠牲にしてつもりはないはずです。
タイプによる違いがありますが、3段階目で生じた欲に対し「どうすればいいのか」「どうすればうまくいくのか」を考えます。
4段階目の対人関係における他人軸3つの特徴
対人関係における、他人軸の欲の扱い方には、4つのの特徴があります。
1つ目は、他者から承認という無自覚の前提に沿って動く
2つ目は、4.3.2段階が一セットになる
3つ目は、承認は周囲次第(自分にはコントロールができない)
4つ目は、自覚なく周囲をコントロールしようとする
どういうことか説明をしましょう。
特徴その1・他者から承認という無自覚の前提に沿って動く
まずは、他者から承認が得られるという無自覚の前提に沿って、3段階目で考えた「どうすればうまくいくのか」を、4段階目の対人関係で実行します。
承認が得られる前提がある場合、「こんな風に思われたくない」とは、相手にこんな風に思われたら承認が得られないを意味します。
だから、どうすればうまくいくのか(承認を得られるのか)を考え、実行するのです。
特徴その2・4.3.2段階がセットになる
行動の結果、4段階目の周囲の反応によって、承認を得られた場合は
「これでいいんだ」
「自分は間違っていない」
「自分は正しいことをしている」
「わかってもらえた」
「人の役に立っている」
「喜ばれた」
「褒められた」
「受け入れてもらえた」
「嫌われていない」
「やりたいこをやってもいい」
などと感じて、3段階目で犠牲にした自分を肯定し、2段階目で、安心・安定・自信などを得ます。
このように、他人軸の欲の扱い方は、4.3.2段階が一セットになっています。
言い換えると、他者からの承認が得られなければ、4.3.2が満たせなくなる、ということでもあります。
特徴その3・承認は周囲次第(自分にはコントロールができない)
承認は周囲次第であり、自分にはコントロールができません。
時に、どうすればうまくいくのかを考えても、良い案が浮かばず
「絶対に怒られる」
「絶対に聞いてもらえない」
「呆れられるかもしれない」
など、周囲からの承認が得られないことを想定し、覚悟した上で、4段階目の対人関係で自分の思いを伝えることもあります。
思いがけず周囲からの承認が得られて、自分が想像した最悪の事態が起きずに拍子抜けしたり、安堵したりしたた経験がある方も、いらっしゃるのではないでしょうか。
このように、承認は周囲次第で、自分にはコントロールができないのです。
周囲からの承認を得られる・得られないは、他人軸で生きている人にとっては、一大事です。
そのため、周囲からの承認を得ることが、他人軸の人生の鍵を握るといっても過言ではありません。
特徴その4・自覚なく周囲をコントロールしようとする
他人軸で、ヒト・モノ・コトに対応する際は、4段階で、周囲からの承認を得られる前提で
●承認を得られると判断した自分を、表に出す
●承認を得られない判断した自分を、内側に秘めたり、隠したりする
判断を自らが下しています。
これは、別な言い方をすると「周囲(ヒト・モノ・コト)の反応次第で得られる承認を、自分がコントロールしようとしている」
本来、コントロールができない「周囲の承認」を、自分で思い通りに動かそうとするのです。
でも、この時点で、周囲をコントロールしている自覚はありません。
なぜなら「周囲を主体」に考え「配慮している」「いいことをしている」「そうするものだ」なと感じているからです。
そのため、内心思うことがあっても、正しいことをしている自覚のもと、表面上は周囲からの承認を得られるよう、振る舞っていきます。
次は、他人軸で、自分の欲を扱い続けることで起こる、特徴的なことを紹介しましょう。
他人軸の積み重ねで起こる、特徴的なこと
人生とは、生きるとは、突き詰めると、日々、自分の欲を扱うことの連続・積み重ねです。
一回、一回は大したことがないと感じる、他人軸による対応。
ですが、日々の積み重ねによって、その影響は自分に大きく降りかかってきます。
その1・周囲の目や反応が気になって仕方なくなる
他者からの承認が得られるという、無自覚の前提に沿って3段階で考えたことを4段階で実行し、うまくいかなかった場合。
「あれ、何かおかしい」と違和感を覚えます。
1~2回ほど、うまくいかない時は「勘違いかもしれない」で終わるかもしれません。
でも、おかしいという違和感を自分は覚えていて、何となく周囲が気になります。
相手の反応を窺っては、承認が得られない状態が続くと、違和感は確信へと変わります。
周囲の反応が気になって仕方がなくなっていきます。
その2・事実と感情の区別がつかなくなる
3段階目で、過去を振り返りながら
「そういえば、あの時、あの人の態度や雰囲気、言動が変だった」
「自分が何か変なことをしたり、言ったりしたのかもしれない」
「あの時、あの人はああ言っていたけれど、本当はこう思っていたんじゃないか」
などと言った具合に、「自分がどうやったら4段階目で承認が得られたのか」を考えます。
他に、「(周囲に合わせて犠牲にした)自分の何がダメだったのか、どうしたら承認を得られるのか」正解も考えます。
正解とは「それをやれば、必ず、ヒト・モノ・コトが思い通りになる(周囲からの承認を得られる)方法」のこと。
この作業を繰り返すうちに、自分の思い感じ考えたことが、あたかも事実のように感じるようになります。
例えば、(周囲が思い通りにならないことで)自分は嫌われているんじゃないかと感じていたことが、繰り返しによって「自分は嫌われている」になっていきます。
これが対人関係のトラブルを引き起こしたり、対人関係が怖くなったりする原因にもなっていきます。
その3・完璧な自分になろうとする
3段階目で、うまくやれなかった自分を裁いたり、完璧な、理想の自分になる努力をしたりしながら、現状を変える努力をします。
完璧な、理想の自分とは、常に周囲からの承認を得られる自分になること。
つまり、完璧なまでに、自分を犠牲にすること。
そうすれば、常に承認を得られて「うまくいくはず」と感じるからです。
その4・他者に依存・執着する
他人軸で欲を扱う場合、犠牲にした自分を承認したり、肯定したり、これらによって得られる自らの安定を、自覚なく他者に依存している状態です。
不安を埋め、「ここに居て良い」という安定を得るるためには、徹底して、自らを犠牲にしなければなりません。
相手の表情や言動を窺ったり、気持ちを読もうとしたり、機嫌を取るような振る舞いをしたり、時に、高圧的な態度を取ったりしながら、ヒト・モノ・コトを、自分の思い通りに動かして承認を得ようと、無自覚のうちに周囲に依存・執着していきます。
なかなか自分の思い通りに動かない周囲に対し、不満や苛立ち、憎しみ、悲しみ、怒りなどを募らせる。
うまくやれない自分を否定・批判し、不安定になる。
うまくいっている誰かと自分を比較しては、落ちこんだり、投げやりな気持ちになったり、妬む気持ちが出たりする。
そんな時、思いがけず得られた承認に、「やっぱり、相手はわかってくれている」と安心する。
と言った具合に、一喜一憂し続けます。
内側で積み重なった執着が表面化する
自分を犠牲にするか、相手を犠牲にするか、立場による違いがあるのですが、内側で積み重なった執着が、表面化したものが
- DV
- ~ハラ
- いじめ
- 老害
- マウンティング
- 不倫
- ストーキング
- ブラック企業
- 円愛中毒
- 自己愛
- クラッシャー
- コミュニケーショントラブル
- 金銭の問題
などです。
問題を解決する時も周囲の承認が絡む
他人軸の場合、何かしら問題が起きた時
- 内心、どう思っていても、表面上は「なかったフリ」をして通り過ぎる
- 第三者に愚痴を話して憂さ晴らしをする
- わざと物音を立てたり、嫌味を言ったり、無視をしたりすることで相手にわからせよう(承認を得よう)とする、
- 抑えていた思いを爆発させて「言ってやった、やってやった」と相手に自分を認めさせようとする
つまり、必要な対応が取れないのです。
時間の経過とともに、問題が大きく広がって行きます。
その5・もう頑張れないは危険信号
一喜一憂が続くうちに、「周りが敵だらけ(誰もわかってくれない)」と感じてもおかしくありません。
不安定な状態が続くと、心身に影響が及びます。
一段階目の生理的欲求ににも支障が生じ、寝られない、食べられない、何も考えられない、心身が疲弊し、壊れていくのも時間の問題です。
こうなると、もう頑張れないと思うのは当然です。
そもそも、他人軸とは、自分の人生において、完璧なまでに自分を犠牲にしようとすることで、物事を成り立たせようとする方法であり、不自然なので、このまま頑張ってはいけないのです。
自分を犠牲にして周囲から承認を得られたら本当にうまくいくのか
承認を得られたと自分が判断したからといって、安心ばかりしていられません。
なぜなら、3段階目で犠牲にした、本来の自分は置いてきぼりのまま。
ヒト・モノ・コトを変えながら、常に周囲からの承認を得られるよう、自らを犠牲にし続けなければならないからです。
人によっては、承認ばかりが得られる、平穏で安泰な生活がつまらないと感じて、波風を立てるかもしれません。
「(承認を得られて)うまくいっているはずなのに、何かがおかしい、足りない、自分の現実が何も変わらない」などと感じるようになるかもしれません。
「本当の自分」というものに、意識が向くかもしれません。
本当の自分とは
ところで、本当の自分とは、何でしょう。
前述しましたが、他人軸で、ヒト・モノ・コトに対応する際は、周囲からの承認を得られる前提で
●承認を得られると判断した自分を、表に出す
●承認を得られない判断した自分を、内側に秘めたり、隠したりする
判断を自分が下しています。
周囲からの承認を得られないと自分が判断し、内側に秘めたものを「本当の自分」と呼ぶことがあります。
そのため、「自分軸のどうしたいのか」と「内側に秘めた、本当の自分」と「は混同されがちです。
でも、実際は、両者には決定的な違いがあります。
自分軸のどうしたいのかは、4段階目の周囲の承認を得る・得ないに関係なく、3段階目で、自分をありのまま認めるという、自己肯定と自己承認によって、自らが引き出したもの。
「内側に秘めた、本当の自分」とは、周囲からの承認が得られないと判断したことで、結果的に、否定したり、ないがしろにしたり、都合良く扱ったり、置いてきぼりにしてきた自分のこと。
周囲からの承認を得られても得られなくてもトラブルになる
好意的な関係において、承認が安定して得られる中、「本当の自分はそうじゃないのに・・」と罪悪感のようなものを抱いたことはあるでしょうか。
隠している「本当の自分もわかってもらいたい」と思い切って周囲にその話をし、承認を得られた時。
「どんな自分も受け入れてもらえる」と感極まり、得られた安定感に、この関係においては「常に周囲からの承認を得られる」と判断し、好き勝手に振舞うこともあります。
このような関係は、周囲の表面上の犠牲によって、成り立ちます。
最初のうちは良好に感じるかもしれません。
でも、周囲の我慢が限界に来て、相手が不満を口にしたり、離れて行ったりする時、「表向きは好意的だったのに、内心ではそう思っていたのか」と知ることになります。
そうなると、周囲が信用できなくなります。
言動の裏を読み「本当はそう思っていない癖に」と批判したり、対人関係が怖くなったりします。
以前に増して、周囲からの視線が気になり、承認を得られないと判断した自分を出さないよう、判断が厳しくなっていくかもしれません。
反対に、どんなに自分を犠牲にしても、周囲からの承認が得られず、「もう関係が壊れても(承認が得られなくても)良い」と、内側で募らせていた不満を思い切り爆発させることもあります。
他人軸の末路
どこまでいっても、4段階の周囲から得られる承認と、3段階の自分を犠牲にすること、2段階の安心・安定が絡んでくる。
例え、好きなことややりたいことをやろうが、抜け出せない。
問題が起きても、必要な対応が取れず、時間の経過とともに、広がって行く。
それが、他人軸の特徴であり、末路でもあるのです。
それでも、他人軸を続ける覚悟はありますか?