過去に対するEFTタッピングが、現在の問題の解決や望んでいたものの実現の一歩へと結びついていくことをご存じですか?
私は、ここ数日、自分軸教習所の講座内容を作成するために、過去の記録である
- 近年取り組んだクライアントさんのEFTタッピングのフレーズ
- 自身に対するEFTタッピングのフレーズとそれに伴う心境
を読んでいました。
どちらも、過去に対するEFTが現在の問題へと結びついていく流れが書かれている、貴重な資料です。
自身の取り組みの記録には、酷いとか、イタタタ・・とか、いわゆるネガティブと感じる内容が並んでいます。
EFTタッピングを使って、淡々と自分をありのまま認め続けたかいがあって、過去を振り返って、あーっとなることはなく、第三者視点で読めますし、変化も実感できるので面白いのです。
過去に付随するネガティブな感情はありのまま認めると、その時に必要なヒントが浮上する
何度も書いていますが、過去の出来事に付随するネガティブな感情は、思い出す度にありのまま認め、掘り下げていくと、その時に必要なヒントが浮上してきます。
タイミングも絶妙で、思い出すことには
- その時に必要なヒント
- これまでの取り組みがあって、初めて可能になること、この先につながっていくもの
などが含まれています。
ヒントを読み解くには、基本を押さえるというコツが必要です。
軌道修正を積み重ねる段階の範囲内で、できるようになります。
そのため、ネガティブを忌み嫌ったり、なくそうとすることに注力したりするのは、もったいないのです!
過去に対するEFTタッピングが現在の問題へと結びついていた話
私の話で恐縮ですが、ヒントを読み解くことで、思い出した過去が自分に教えてくれたことを紹介しましょう。
数年前、三十年以上も前の嫌な思いをした出来事が、ふいに浮上してきました。
そういえば、この件でEFTをやったことも、やろうと思ったこともなかったな。
軽い気持ちでタッピングし始めたところ、猛烈に腹が立って止まらなくなりました。
猛烈に腹が立つ
普段、全く思い出しもしない、すでに終わっている遠い昔の出来事なのに、まるで今起きたかのように、自分が腹を立てているなんて、ビックリです!
このような経験は、過去にもあったので、その時と同様、ネガティブな思いをありのまま認めたのですが、気持ちは全く収まりません。
そのため、自分の中から次の動きが出るまで、苛立ちや怒りなどを、ありのまま認め続けることにしました。
陥れてやりたいという気持ちが湧いてきた
数日後、動きがあり、「あの人が、あんなひどいことをしたって言って回って陥れてやりたい」という気持ちがムクムクと湧いてきました。
陥れるとは、他人軸の「自分の思い通りの反応を相手から引き出したい」ということであり、「皆に言って回ることで、同意する仲間を得て、あの人が酷いとつるし上げをしたい」ということでもあります。
頭では、これは軸の問題であり、こんなことをやっても意味がないとわかっています。
そもそも、そんなことをするつもりは一つもありません。
でも、感覚的には「強く、陥れてやりたい」のです。
このような「頭ではわかるけれど、気持ちがついてこない」時、あなたならどうしますか?
頭ではわかるけれど気持ちがついて来ない
感覚・感情を「そんなこと思っちゃダメ」と理性で抑え込み、表面上、私そんなことなんて考えてません!と振舞いつつ、内側で根に持ち続けるのか。
感覚に引っ張られるがままに実行し、ヘタしたら犯罪者になっちゃうのか。
私はどちらもイヤでした。
だって、ありのまま認め続けたら、これは通過地点に過ぎず、頭と心が納得した状態で、次の段階へと進めるのですから。
本当にそれで満足?
自分の中で、思いつくまま陥れる方法を言葉に表し、タッピングしながら、ありのまま認めること数日間。
意地悪い気持ち全開で、さんざん、あの人がああだった、こうだったって罵るうちに、「本当にそれで満足?それで気が済む?」という気持ちになりました。
感覚的に、「相手を陥れることでは、自分は満足しない」という状態になったのです。
ここの箇所だけ誰かに諭されても、私は全然納得しないのですが、自分で自分をありのまま認めたら、自然に「陥れたところで、満足はしないよね」と思えるのです。
自分と他人の違いを尊重すること念頭に置きつつ自分が何を求めているのかを考える
ここで少し考えます。
人生は自分の欲求を扱うことの連続。
この件を、自分軸の「自分を尊重」「自分と他者の違いを尊重」という視点で捉えた場合。
「陥れる」とは、他人軸で「自分のために、他者を犠牲にする」ことになる。
だったら、私は、どうなったら、本当に満足したと言えるのだろう。
体の内側に意識を向けると、喉元にちょっとしたひっかかりを覚えます。
「何か内側から出てきそう」なのだけれど、うまく言葉になりません。
考えても全然わからないので、しばらく自らに問いかけをしつつ、過去の出来事に対する自分の思考や言動を、最初から振り返るうちに、あることに気付きました。
他人軸の癖に気づく
昔、私には、一番良いなと思ったものがありました。
でも、それを欲しいとも、得ようとも思わず、ちろん手を伸ばすこともないまま、向こうから来た、欲しいとは思っていなかった、どうでもいいものに手を伸ばし、最終的に嫌な思いをし、それを引きずったのです。
これは、私の他人軸の癖です。
人生の様々な場面で顔を出し、同じ対応を、ヒト・モノ・コトを変えながら、繰り返してきています。
今では、この癖が自分の中で、どのように出来上がったのかも、軌道修正の方法も、わかっています。
これ、いつもの癖かと思った時
わかった!
私は、あの人ではなく、過去の自分がした選択に、猛烈に腹を立てているんだ!
(本当に欲しいものに手をのばさなければ、嫌な思いを引きずる)
感覚に意識を向けつつ、この内容をタッピングすると、そうだそうだと言わんばかりの、清涼感が自分の内側で広がります。
陥れてやりたいという思いをありのまま認めなければ、絶対に辿り着けない内容でした。
無事に、他人軸から自分軸へと軌道修正をし、これにて終了・・とはならなかったのです。
過去の複数の出来事に対するEFTが現在の問題解決へと結びついていく
ここで、私は、登場人物が全く違う、同系列にある、複数の出来事に意識が向きました。
そういえば、あれにもこれにも、EFTをやったことも、やろうと思ったこともなかった・・。
ということで、これら全てにEFTをしたのです。
機が熟したのでしょう。
前回同様、過去の出来事に対応していた自分の動きに焦点をあてると、当時は全く無自覚だった、他人軸による思考や言動などが、細やかに言語化された状態で出てきました。
これはEFTタッピングを積み重ねた賜物です。
印象的だったのは、当時と、今とでは、ヒト・モノ・コトへの捉え方も、見え方も、全然違っていたこと。
例えば、過去には、ある人の言動に対し「これはひどい」と思ったことが、今だと「誠意がある」と感じるのです。
逆もしかり。
過去と現在の自分の違いに気付けて、面白かったです。
自分が本当に欲しいのはA?それともB?
同系列の出来事を順に、次、次とEFTをしていくうちに、その内容が「現在(数年前)に取り組んでいた題材」へと結びついていきました。
私は、この題材を、年単位で取り組んでいました。
(数年前の)私には、欲しいと思っていたものがありました。
この欲しいと思っていたものを、仮にAとしましょう。
長らくAを欲しいと思い、執着していた私でしたが、実際に得ようともせず、手を伸ばすこともありませんでした。
なぜなら、頭ではそれは違うとわかっていたからです。
私には、Aとは別にBという、本当に望んでいたものがあり、それは、ずっと前に手に入れていて、頭も心も納得していました。
ところが、近年の状況や、最初にBを選択した、二十年以上も前の場面を振り返る中で疑問が生じ、気持ちが揺らぐようになったのです。
私が本当に欲しかったのは、Bだったのだろうか。
もしかしたら、Aだったんじゃないか。
このような背景があったため、私は、Aに執着し続ける自分を、年単位でEFTをしながら、ありのまま認め続け、動きが出るのを待っていた訳です。
私は、普段、自分のEFTをする時、基本を押さえた取り組みを徹底しながら、クライアントさんに同じような場面が巡ってきた時、少しでも動きが出やすくなるフレーズがないか、探しているのです。
年単位というと、狂気じみているかもしれませんが、やる価値はすごくあると思っています。
本当に欲しいものは手にしているとわかっても自分は揺らいでいる
「Aへの執着」という箇所だけ切り取って、EFTタッピングをしていた時にはわからなかったことが「同系列の、複数の出来事」を順にEFTをするうちに、話のつながりが見えてきました。
そこでわかったのは「やっぱり、手に入れたBが、本当に欲しいものである」ということ。
それでも、私の中のBに対する揺らぎは、変わらずあります。
Bで行けるという、腹が据わる感覚も出てきません。
まだ、何かあるみたい。
このまま前に進むのは、ちょっと無理があるなあ。
そう思って、揺らぎを構成しているであろう、過去の出来事に対応した自分を片っ端から、ありのまま認めることにしました。
古い話だと、小学校の頃までさかのぼったのですが、これらの作業で、思いがけず、Aに執着した理由が明らかになりました。
他にも、現在の課題と、必要な対応方法と、前に進むにあたって気を付ける箇所が見えてきました。
本当に欲しいものを得ているのに実感がないのは他人軸が原因だった
本当に欲しいBを得た私は、ある時期まで順調に進んでいたのですが、とある大きな出来事によって、意気消沈。
実はこの時、物事に対応するハードルが、ぐっと上がり、それは何となくわかっていたものの、無自覚のうちに、慣れた他人軸の癖でAに執着することで、自身の安定をはかるようになっていたのです。
これだと、原動力は得られるものの、本当に必要な対応が取れなくなり
という、ロスの連動が生じます。
これらのロスを埋めるかのように、さらにAに種着し、安定を図る。
Aに執着することで、その場をしのぎながら、ロスの連動から抜けられなくなる悪循環に陥っていたのでした。
これまでの取り組みがあって初めて着手できることがあると気づく
その場をしのぎ続けたことによって、大きくなった問題を目の当たりにした時、私は、すごく嬉しくなりました。
なぜなら、私が幼い頃から、ずっと望んでいた、あることが、これまでの取り組みがあって、初めて着手できるようになったと気づいたからです。
すっと腹が据わる感覚が出てきて、必要な準備が整った時、次の課題が浮上してきました。
このように、日々、他人軸から自分軸へ軌道修正をしながら、自分の欲を扱い続けています。
さまざまな過去が自分らしく幸せに生きられるようヒントをくれる
必要なタイミングで、過去のネガティブな感情が蘇る時。
これらをEFTタッピングで、ありのまま認め、掘り下げると、さまざまな過去の出来事や登場人物達が私に、自分らしく、幸せに生きられるよう、ヒントを教えてくれる。
これを愛と呼ばずに何という、というあたたかな気持ちになります。
でも、だからといって、過去の全て許そうという話では全然ありません。
嫌なものは嫌で良く、それがわかることで、自分 と相手の境界線を築けるようにもなるからです。
ネガティブな感情や思考は、ありのまま認めたら、通過地点に過ぎないこと。
掘り下げることで、その時、必要な情報になること。
他人軸のままで居続けたら、絶対に受け取れない「愛」を得られること。
もし、ご縁があって、あなたが他人軸から自分軸への軌道修正術に取り組む機会があり、このような体験をなさる時が来たら、きっと、ここに記した内容が、お分かり頂けると思います。