自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
EFTタッピングを通じて提供している「他人軸から自分軸への軌道修正術」は、私自身の取り組みと、クライアントさん達のセッションという実体験を言語化・知識化・体系化したものです。
この記事では、私・伊藤が、アイホージュを立ち上げる前に、交通事故に遭ったことが「言動をを他人軸から自分軸へ軌道修正する」きっかけとなり、そこから、後に「視点・思考・感情を他人軸から自分軸へ軌道修正する方法」となる、EFTタッピングに出会うまでの話を紹介します。
交通事故の後始末が他人軸から自分軸へ軌道修正するきっかけとなる
話は2006年にさかのぼります。
前年に東京から戻り、末期の父を見送った後、営業職に就いた私は、業務で軽自動車を運転し、赤信号で停止している所へ大型トラックに追突される事故に遭いました。
信号が変わる迄の時間、ぼんやり左横の草を眺めていたのですが、不意に「雨の日にここで事故が起きる」という言葉が頭をよぎりました。
その日は小雨。
驚いてルームミラーに視線を向けると、後ろのトラックが加速して来るではありませんか。
先頭で停止していたため、前方には、まだスペースがあり、急いで車を動かします。
体を硬直させながら、近づくトラックをミラー越しに眺め「あ、もうダメだ」と思った瞬間。
前に押し出されると同時に、衝撃でガラスが割れる音が聞こえました。
奇跡的に、目に見える傷は負わずに済みました。
自分って強い
現場検証の後、最初に自分が停止した場所に目を向けると、急ブレーキを踏んだトラックのタイヤ痕が生々しく残っています。
「雨の日にここで・・」という言葉がなければ、どうなっていたのか。
ギリギリで回避したのだと実感し、ぞっとしたのでした。
それ以降、一日中、ハイテンション気味で、数百万単位の商材を車に積んでいたこともあり、壊れた窓にシートを張り、一時間ほど運転して帰りました。
自分は強いと感じていたので、数日後に心身に症状が出て、調子を崩し、自分を立て直せなくなるなんて、思いもしませんでした。
私を悩ますもの
1・心身に症状が現れる
数日後、仕事帰りで運転中に自宅近くまで来た時のこと。
ミラー越しに見ていた、トラックが近づいてくる事故の映像が急に出始め、心臓がバクバクし、運転に集中できなくなりました。
休み休み帰った後、運転が怖くなり、休職。
ムチウチや痺れの症状で起きているのが辛くなり、食事や服薬、入浴、送迎付きの通院以外、ほぼ続けること約二カ月。
この頃の状態を、マズローの図で表すと下記のような感じです。
今思うと、ひたすら寝ることで、1段階目の生理的欲求を満たしつつ、2段回目で自らを守っていたのでしょう。
最初は踵だけに生じていた熱感が、毎日少しずつ範囲が広がるのが恐く、朝起きて、その確認をするのが苦痛だったことも寝続ける原因の一つだったように思います。
次、次と起こる症状に慣れ、それを受け入れられるようになるまで、時間が必要でした。
2・焦りとぐるぐる思考で自らを持て余す
寝ることで自らを守る時期を経て、3段階目の社会的な欲である「自分はどうしたいのか」を扱う段階に辿り着きました。
自分と向き合うには、格好のタイミング!・・だったのですが、当時は、その方法がわかりませんでした。
ぐるぐる思考で自らを持て余し、再び2段階目の安定を欠くようになったのです。
ぐるぐる思考の原因は他人軸
ぐるぐる思考の原因は、私の欲の扱い方が他人軸だったこと。
他人軸は、幼い頃に形成した、欲の扱い方であり、ヒト・モノ・コトを変えながら、今日に至るまで使い続けています。
下記の図をご覧ください。
他人軸の欲の扱い方の特徴は、3段階目の自分がどうしたいのかを「ある」のに「ない」、「ない」のに「ある」と振舞うこと。
私は早くこの状態から抜け出し、自分を立て直すことで、周囲からの承認が得られ、物事がうまくいく(安定が得られる)と無自覚のうちに感じる状態にありました。
でも悲しいかな。
推拿の学校にいた頃、先生から「自分の心身のケアした上で、人に触れること」を学び、実践してきたはずなのに、ここに来てどうやっても自分を立て直せないのです。
理想を求めても、現実には、心身や将来について悲観的に思うばかり。
加えて、一人でいる時間が長くなったために、他人軸で欲を扱う方法が成り立たなくなってもいました。
そのため、職場にいたら充足できていたであろう、4段階目の周囲からの承認(と感じる、実際は自分の判断)が、休職によって求めることも、得ることも、できなくなっていたのです。
唯一の存在とも言える医師の、短い診療時間の中で、承認を求めては「わかってもらえた・もらえない」と感じ、一喜一憂していた記憶があります。
3・過去の自分の選択が全て間違っているように感じる
何とかしないといけないと焦る中で、こんなことを考えていました。
事故って、いつ終わるんだろう。
どの位時間がかかって、どんな風になるんだろう。
体に、何が起きているんだろう。
30歳で会社をやめて上京し、推拿師となったのに、心身に症状が出たことで、この先一体、どうしたらいいのだろう?
自分のケアすらままならないのに、人に触れるのは無理だろう。
でも、本当に事故のせいで無理なのだろうか。
本当に事故だけが、問題なんだろうか。
どこまでが事故で、どこまでがそうじゃないのか。
私の人生って何だったんだろう?
東京に行ったのも、推拿を学んだも、全部ムダになった気がする。
この先、この年齢で再就職って言っても、青森には仕事がないし、事務職に就くなら、前の会社を辞めなければ良かったじゃない。
自分にはもう何も残っていない。
体のことを学んで、自分の体も元気になったのに、今では何にもできない。
自分をコントロールするのさえ、できない。
なーんにもないんだもの。
そもそも、まだ青森に帰ってきたくなかったのに・・。
それに、なんで、あのタイミングで、引っ越ししたんだろう。
2日しか住んでいないマンションを、引き払って青森に帰ってくるんだったら、引っ越ししなきゃよかった。
まだ契約期間内だったから、もう少し待てば良かったのに・・。
あー自分がイヤだ。
己を罵る言葉は、止まることを知りません。
あの時も、この時もと、過去の自分に対するダメだしが続き、全ての選択が間違っていたかのように感じていました。
自分の中で何が起きているのかも、どうしたらいいのかもわからないまま、ぐるぐる思考が続きます。
4・感じることに疲れる
感じることや、ぐるぐる思考や疲れてしまったある日、良いことを思いつきました。
そうだ!何も感じなければいいんだ!
感じるのをやめたのです。
本当に、何も感じなくなりました。
最初は快適だったのですが、数日が過ぎた頃、このやり方はダメだと思いました。
イヤなことを感じないということは、嬉しさや喜び、幸せなども感じないのです。
再び、ぐるぐる思考で堂々巡りをする日々が始まりました。
音に過敏になり、乗り物で急に降りなきゃいけないと思ったり、狭い場所でいきなり恐怖感に駆られたりとか、なぜこのようなことになっているのかが分からずに、自分を持て余していました。
それでも「何も感じないという方法はダメである」と知ったのは、前進です。
5・いつもここではないどこかを探しているのはなぜなのか
私は、ここじゃないどこかをいつも探していることに気付いていました。
東京で暮らしていた時は、青森に帰りたいという。
青森に戻ってからは、東京に帰りたいと思う。
「現在」という時間にいるのに、いつも過去を嘆いたり、未来を考えて不安になったりしている。
私は、時空を超えて、周囲からの承認(と感じる実際は自分の判断)を得られる場所を探していたのです。
結局のところは、現在の自分を自ら承認する他ないのですが、そのことをまだ知らないのです。
納得して事故の後始末を終えたい
今思うと「他人軸のやり方ではうまくいかない」という消去法で、少しずつ前に進んでいたのですが、当時は、停滞感を覚えるばかりで、そのような自覚はありませんでした。
そんな中、納得をして、事故の後始末を終えたいと思うようになりました。
下記の図をご覧ください。
納得したいという思いが、3段階目の社会的な欲である、自分軸の「どうしたいのか」に当たります。
当時は、うまく言葉で説明ができなかったのですが、納得したいと思ったきっかけは「私の事故なのに、私がいない所で、物事が誰かによって決まって行くこと」
関係する方々は、皆、配慮して下さるのですが、唯一「私のいない所で物事が決まる」ことに関しては、違和感がありました。
「こちらは酷い目にあったのだから、それをわかってくれるはず」と思っているうちに、結果だけを渡され、何を言っても覆らない状態で、ハイ納得して下さいってなったら?
これは他人軸の思考状態で起こることなのですが、絶対にイヤだと思いました。
仮に、一割でも私に過失があったなら「自分も悪いから」と諦めて終えたと思うのです。
でも過失がないのに、心身にダメージを負い、その影響が今後の人生に及ぶというのに、それについて私はどう納得したらいいのか。
加えて、私自身、この先で何かをやろうとする度に、事故のせいにしたり、それを言い訳にして、やらずに逃げる自分の姿が思い浮かんでもいました。
だから納得したかったのです。
納得を求めて最初に取り組んだこと
事故から半年が経ち、後遺症にも、少し慣れた頃。
私は焦っていました。
納得しようにも、具体的に何をしたら良いのかがわからないのです。
そんな中で、最初にやったことは、類似の事故事例に自分の状況を当てはめて、比較すること。
比較によって、何かしらのきっかけがつかめるのではないか。
そう期待していたのですが、実際はうまくいかず、似たような事例を探すこと自体、無理があると思いました。
仮に見つかったとして、同じ結果に至る訳ではありません。
ここで、人の事例に自分を当てはめたり、人と自分の事故を比較したりすること自体、違うのだと気づきました。
消去法で、一歩前に進みます。
人の助けを得る
次にやったのは、助っ人を探し出すこと。
私には事故に関する知識がなく、一人で物事を進めるのは限界だと気づいたからです。
誰でも良い訳ではなく、私が求める納得を得られるかどうかを基準に、存在しているかわからない人を探し始めました。
結果「被害者も勉強をして、実りある終わりを」といった謳い文句を掲げていた、助っ人に辿り着きます。
3段階目の「納得して終わりたい」という思いやこれまでの過程を、4段階目で助っ人に伝えたところ、すぐに受け入れの許可が下りました。
納得したいけれど波風は立てたくない
やり取りは全てメールでした。
事情を把握した助っ人から、緊急指示が書かれたメールが届き、それを読んでいた時のこと。
「周りに迷惑をかける」と思った私は、助っ人に対し「やりたくない」と返信しました。
この時、助っ人に対して、こちらが何も言わなくても、やりたくないという気持ちを汲んで、一切の面倒ごとを避けて、良い結果がもたらされるよう、都合よく配慮して欲しいと、ぼんやり期待していたのです。
この時の私の状態は下記の図の通り。
4段階で、助っ人に受け入れの許可をもらったことによって、承認を得られたと感じ、自分の思いをわかってもらえたと安心した私は、次の指示に対し、図々しくも、他人軸の欲の扱い方で、うまくやってくれることを望んだのでした。
助っ人の返信は、「やりたくなければやらなければいい。それはあなたの問題で、私の問題じゃない。」
この文を読んで、頭を殴られたような衝撃を受け「今までのやり方ではダメなんだ」と目が覚めました。
バツが悪かったのですが、これが「行動を他人軸から自分軸へ軌道修正する」きっかけとなり、怖かろうが、やりたくなかろうが、指示されたことは全部やると決めたのです。
怖くても自分がどうしたいのかに沿って必要な対応を取る
行動を変えるといっても、下記の図の通り、私の思考や感情の扱い方は他人軸のまま。
恐る恐る関係者一人ひとりに電話をかけ、事情とお願いしたいことを話しました。
「自分がどうしたいのかに沿って、言う必要のあることが、何かをわかって話す」という、自分軸での対応を取っていたのですが、内心ではきっと皆に迷惑がられる、嫌がられる、怒られるなどと思っていました。
でも想像していたようなことは何も起こりませんでした。
4段階目で全員が快諾の上、緊急で動いて下さることが決まり、5段階目で結果を得られたのです。
うまくいくはずがないと感じていた他人軸までもが満たされ、拍子抜けすると同時に、感謝の気持ちが湧いてきました。
周りの方たちの協力によって、緊急事態を乗り切り、最初のハードルをクリア。
最初のハードルを越える時も、ヒト・モノ・コトを変えた状態で、うまくいくはずがないと思いながら動いた結果、周囲の快諾によって安堵していたのでした。
やらずに諦めていたことに気付く
もし、助っ人の言葉に傷つき、もっともらしい言い訳をして、必要なことをやらずに逃げ出したとしたら。
「こんなに酷い目にあったのだから、自分の思いをわかってもらえて当然。
いつか誰かが、自分の良いように何とかしてくれるはず。何とかなるはず。」
他人軸のまま、根拠のない期待と「何ともならないんじゃないか」という不安を行き来しながら、必要な対応が取れないまま、タイムリミットを迎えたはず。
「こんなはずじゃなかった」と今も悔やんでいたはず。
それに、さんざん「周りに迷惑がかかる」「言っても嫌がられる」と思っていたけれど、実の所私は断られることで、否定されたと感じて傷つかないよう、自らを守るために、伝える必要のあることを話す以前に、自分が諦めていただけだと気づきました。
でも、それだと私の現実は何も変わりません。
それだけではなく、必要な対応が取れずにタイムリミットを迎えてしまったら、適切に話をしたら協力して下さる周りの人達のことを「やってくれなかった」と悪者に仕立て上げることになるのだと、初めて気づいたのです。
自分を守るどころか、自分も相手も、傷つけることになるのです。
ここから、示談を終えるまでの約2年、ヒト・モノ・コトを変え、少しずつハードルが上がる中、怖いとか、やりたくないとか、うまくいかないと思いながらも、自分がどうしたいのかに沿って、必要なことを話したり、聞いたり、やったりする日々が続きます。
あなたはどうしたいのですかと問われる日々
助っ人から、いつも問われて、困っていたことがあります。
それは「あなたはどうしたいのですか?あなたがどうしたいのかが一番大切です。」
改めて聞かれるとわからないと感じるのです。
自分軸の「自分はどうしたいのか」は、二種類あります。
詳しくは下記の記事で触れています。
- 日々、目の前のことに対して生じる、3段階目の社会的な欲
- 1の積み重ねの先で、自らの内に生じる、6段階目の入り口
当時の私は、この二つの区別も、関係性も、わかっていませんでした。
助っ人から「自分がどうしたいのか」を問われる時に、私が想像していたのは、2の6段階目の入り口の方のこと。
これは、魔法の鍵みたいなもの。
それがわかりさえすれば、現状が一気に変わるとか、物事が全てうまくいくようになるといった感覚を抱いていました。
他人軸の思考状態あるあるです。
そのため、私は「納得を得て終えたい」が、自分軸の「どうしたいのか」だという認識がなく、それが実現したところで、次に何があるのかもわからないし、人生が変わる訳でもないと思っていました。
このような感じだったので、助っ人から「あなたはどうしたいのか」を問われる度に、わからないとか、これでいいのだろうかと思いながら、何とか答えを捻り出していました。
精神科でのカウンセリング
助っ人と治療方針を見直した後、新たな病院を訪ね、精神科の医師に、少し長い時間、話を聞いてもらう機会がありました。
それまで、何に困っているのか。何から話せばいいのか。何を話したらいいのか。
一から話そうとすると長くなるし、端折るにしてもどこから言えばいいのか。
どうしたらいいのかわからなくなっていたのですが、医師の質問に答える形で、一通り話した後、
「あなたはたくさんの悩みを抱えているのに、何一つ片付いていなくて、それが不安となっているのですね。」
と返ってきました。
言い表せなかった自分の内側を、適切な言葉で説明を受けたおかげで、まだ何も解決していないというのに、すごく落ち着き、少し明かりが見えたような気がしました。
自分を理解するためには、思い感じ考えていることを言葉に表し、自覚することが大切なのですが、まだそこまでの理解には至っていません。
自分の回復や変化に気付けず何も変わっていないと思っていた
このまま、順調に回復していくのではと期待しましたが、半年ほどカウンセリングを受けるうちに「あれもこれも言いたいけれどいつも話し足りない」という不満を覚えるようになりました。
一人で堂々巡りをしていた頃よりも回復していましたし、人の助けを得て、少しずつ変化していたからこその不満です。
でも当時は、回復の自覚も、変化の手ごたえも、全くありませんでした。
なぜなら、私の中で、回復・変化とは「何の悩みもなく、はつらつな自分になり、精力的に動けるようになる」という勝手なる、無自覚の思い込み・理想があったからです。
この思い込み・理想と、実際に治療を受けることで得られる変化が乖離していたから、何も変わらないと不満を覚えていたのですが、そのことには気づいていませんでした。
これでは、医師もカウンセラーもたまったものじゃありませんね。
私の課題
受傷から一年が経つ頃、これ以上の改善は見込めず、症状固定をしました。
その時も「治っていない」と感じていました。
でも、治っていない訳ではないのです。
治療によって1,2段階をある程度満たし、通常の生活へと戻る私の課題は、
治療を終えても、回復の自覚も、変化の手ごたえもなく、ぼんやりとした不安や恐怖を抱える中で、自分を直視せざるを得なくなりました。
集めた情報が悩みの解決に結びつかないという悩み
何とかしないといけないと思って様々な情報を探す中、一つの悩みを抱えていました。
それは、「集めた情報が、悩みの解決へと結びつかない」ということ。
これには、二つのことが関係しています。
一つは、私にとっての解決とは、「一気に現状が変わること」だったこと。
ただし、具体的に何を望んでいるのかは、わかっていません。
そのため、感覚的に「現状を変える、魔法の鍵のような情報」を探している状態でした。
もう一つは、事故の後始末を通じて、行動を他人軸から自分軸へ軌道修正する取り組みを同時並行し、結果を積み重ねていても、自分のネガティブな感情や思考は、後回し。
怖いとか、やりたくないとか、うまくいかないという思いを、いつも堪えて動いていました。
そういうのも、何とかしたかったのです。
集めた情報に対する不満が、「自分がどうしたいのか」に結びつく
前述した背景があったため、集めた情報に対して、不満を抱えていました。
例えば、笑顔やポジティブに振舞えば良いという情報は、私にとって、内面が置いてきぼりになる、表面的と感じるもの。
感謝の気持ちを持てばうまくいくといった情報は、断片的で、解決に直結しないと感じる方法でした。
自分の現状を変えるために感謝するのは何かイヤで、感謝したいからするでありたいと思いました。
また、以前はドン底だったけれど、今はこんなに変わったという情報については、ドン底と変化の「間」に何があるのかを、知りたかったのですが、具体的に触れている記事は見つけられませんでした。
すごい経歴の持ち主の「私にもできたのだからあなたにもできる」という、立ち位置が違い過ぎると感じる情報。
「ありのまま認めたらいいんだよ」という、抽象的で具体的に何をしたらいいのか、わからないと感じる情報。
「問題解決」と書かれた、MBAを取った、スケールが違い過ぎると感じるの本。
自分がどうしたいのかが大切とあっても、どうしたいのかがわからず、その段階でつまづきを覚える情報。
願いがかなうことをイメージし、一切疑わず、何もせずに、ただ待っていれば実現するといった、どのような仕組みで、それが可能になるのか、根拠が見えない情報。
このような形で、願いが叶い、何かを手にすることは、本当に自分のためになるのか。
そうなることがスゴイのか。
願いが叶うことだけが大事なのか。
他にも、人とうまくやる100のテクニックのような内容を見ては、全てを覚えて実行しないと、人生は、対人関係は、うまく行かないのかと思ったりもしました。
ケチをつけたり、批判したりしているように映るかもしれません。
でもこれは、私にとって大事なことを探し当て必要なプロセスだったのです。
人間に取扱説明書があるならどういう内容だろう
最終的に、私の中の違和感や疑問をまとめたものが、「人間に取扱説明書があるとしたら、それはどういう内容だろう」でした。
取扱説明書といっても、特別な人だけが使える秘儀でもなければ、小難しい内容でもなく「私という、一般の一個人が生きていく上で、押さえる必要のある基本って何だろう」というもの。
さまざまな情報を目の前に、何もかもできるようにならなければ、現状が変えられないような気がして焦る中、基本を押さえていたら、あれこれテクニックを集めなくて良いはずと思いました。
私は、根本的で、現実的で、実用的な解決方法を知りかったのです。
でも、それは一体何なのだろう。
探そうにも、どうやったらいいのだろう。
結局答えは、見つからないまま・・・と思っていましたが、人間は、無自覚のうちに、自分の疑問「知りたい」という欲に沿って、答えを探すんですよね。
実際に私は、すでに探し当てていたのです。
それが、EFTタッピングです。
ただ、実際に使うのは、もう少し後。
とある事件が起きてから、なのです。