自分教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
ネガティブな感情をありのまま認めると、それが現実になりそうで怖い。
EFTタッピングの提供を通じて、クライアントさんからこのようなお話を伺うことがよくありました。
お気持ち、すごくわかるのです。
これは、他人軸と自分軸の、欲の扱い方(視点・感情・思考・言動の扱い方)の違いが関係しています。
ネガティブ・ポジティブの意味合いが、それぞれ異なるのです。
これを知ることで、他人軸をやめるためには、いわゆるネガティブな感情をありのまま認めることが有効であり、怖くないこと、むしろメリットがたくさんあることが、お分かり頂けると思います。
他人軸のポジティブ・ネガティブの判断
他人軸で自分の欲を扱う場合は「周囲の承認と安定」を求めることが、問題や悩みの解決方法や、望みの実現方法となります。
自分軸と他人軸の違い
そのため「周りがどう思うか(誰かの承認を得られるか)」を主体に、ご自身の感情や思考、言動を扱います。
- ポジティブ・良い・プラスをあると認める
- ネガティブ・悪い・マイナスをなくす
という捉え方をしています。
表面的な言動を「良い・ポジティブ・プラス」にし「悪い・ネガティブ・マイナス」と自分が感じることは、なかったことにするという対応を取ります。
この対応により「何か良いものがもたらされる」と感じるからです。
でも本当にこの方法で、良いものがもたらされるのかどうか。
それを確認する必要があります。
ネガティブをなくしたら本当に良いことがもたらされるのか
このやり方では、自分の内側に「あるのにない」「ないのにある」という判断をすることになります。
これが「ありのまま認めない」ということであり、自分を犠牲にするということでもあります。
なかったことにしても、実際は「ある」ので、自分の内側は混乱します。
現状把握ができなくなり、必要な対応が取れなくなります。
例えば、何か問題が起きた時に
「人に面倒をかけられない」
「誰にも知られたくない」
「誰にも言えない」
と思って、大丈夫ですと答えるということがあります。
大丈夫ですと答えた後、無自覚のうちに周囲に配慮(承認と安定)を求めます。
配慮が得られなければ「誰もわかってくれない」と傷ついてしまいます。
このようなことをヒト・モノ・コトを変えて繰り返しながら、自覚なく、物事の先延ばしをします。
時間の経過によって、周囲を巻き込んだ、大きな問題へと発展するかもしれません。
問題が大きくなってから、何かをしようとすると、負担も大きくなりますし、労力も時間もかかります。
もしかしたら、対応のタイムリミットが過ぎていて、「今さらどうすることもできない」かもしれないのです。
良いものがもたらされるどころか、実際は、自分の負担が増えて苦しくなるだけ。
このことに気づく必要があります。
自分軸のポジティブ・ネガティブの判断
自分軸で自分の欲を扱う時は、ポジティブ・ネガティブに関係なく「ひとまず全て(自分の中に)ある」という判断をします。
「自分の中にあるものを、あると自分が認めること」が、「ありのまま認める」です。
ありのまま認めることで、自分の内側にあるものを活かします。
例えば、EFTタッピングでは、他人軸で、自覚なく周囲の承認と安定を求めて、配慮が得られず「誰もわかってもらえない」と感じる自分をありのまま認めることから始まります。
これは、なかったことにしていた、ご自身の内側を、自らありのまま認めて
- 他人軸ではうまくいかないと理解する
- 自分軸のどうしたいのかに沿って、必要な対応を取る
ために行います。
EFTタッピングを使う理由は、頭と心が納得した状態で、前に進めるよう、ご自身を満たすため。
長年、ヒト・モノ・コトを変えて積み重ねた「他人軸による対応で、何か良いものがもたらされる」という思い込みは、あまりに根強く「自分軸ではうまくいかない」というブレーキにもなります。
これを乗り越えていくには、頭と心が納得した状態で、他人軸ではうまくいかないと理解し、必要な対応が取れる状態をその都度、作ることが大切です。
リマインダーの繰り返しによって、他人軸の欲求を自らが満たしつつ、今までのやり方ではうまくいかないと気づいた上で、自分軸のどうしたいのかに沿って、行動し、これまでとは結果を得ていきます。
何を伝えて、何を話さないのか。
何をやって、何をしないのか。
を自らが決めて、鼓動します。
ポジティブもネガティブも自分の判断に過ぎない
ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、それは自分の判断に過ぎません。
自分の全ての判断を、自分があると認め、活かすことが、適切な現状把握や必要な対応へとつながっていきます。
あなたの中にある、まだ認めていない、いわゆるネガティブな感情は「現状をより良くするヒントや鍵」となるものです。
ありのまま認めて活かすのか。
それとも、なかったこと(犠牲)にして、表面を装っていくのか。
その判断は、あなたにかかっていいます。
他人軸では「これ以上どうすることができない」と感じても、自分軸ではできることがたくさんあるのです。